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レジェンドに聞け!

第20回 加藤秀司氏「やっぱり、三冠王は獲っておきたかったねえ」

 

阪急黄金時代の三番打者として、チームの勝利に幾度も貢献した加藤秀司氏。その陰にあったのは、西本監督の過剰なまでの?愛情であった。プロ野球の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビュー第20回。加藤氏が自らの野球人生を恩師との思い出を中心に振り返る。
取材・構成=大内隆雄 写真=BBM



大監督自らマンツーマンの徹底打撃指導
打てなくても三番外さず



今回登場の加藤秀司氏は、すでに登場した山田久志氏、福本豊氏とトリオで1969年に阪急に入団した、いわゆる“花の(昭和)44年組”の1人。山田、福本氏のところで、当時の阪急、パ・リーグ、V9巨人などについては、かなり詳しくお伝えすることができたと思っている。では、加藤氏には、加藤氏自身について以外で何を聞けば、重複せず興味深いページを作ることができるか?

これはもう西本幸雄元監督にターゲットを絞るしかない。山田、福本両氏も恩師への感謝を語っていたが、加藤氏と西本監督の関係は、また格別のものがあったと思われる。

それはこういうことだ。西本監督は、30歳の年にプロ入り(毎日、現ロッテ)した人だが、球団としては、将来の監督という含みで獲得した人材だった(事実、60年に大毎監督となり、この年チームを10年ぶりの優勝に導いている)。それでも55年まで6シーズン現役を続けた。この西本選手、実は左打ちの一塁手だった。そう、加藤氏とまったく同じなのである。入団した加藤氏を見て、西本監督は、自分の果たせなかった夢を託したくなったのではないか?

西本一塁手は、6シーズンで打率.244、6本塁打、規定打席到達は1度もない。しかし、その野球理論、打撃理論には卓越したものがあった。それを加藤氏の体を借りて実現したかったのではないか?


 入団2年目(70年)に西本さんに言われました。「その打ち方をやっていると、よくなったとしても、そこそこだな」と。私は左方向への打球が多く、インコースがさばけていないと見えたのでしょうね。よし、それならインコースを打ってやろうじゃないかと。西本さんは、待ってたぞと言わんばかりに「ヒジを体につけるぐらいにして、鋭く回転させなくてはインコースは打てん。その練習をトコトンやれ」と命じました。秋からず〜っとです。しかも、監督とのマンツーマンですから、休むワケにも手を抜くワケにもいきません。普通、監督が、あそこまで選手には付き合わんでしょう。

 次の年(71年)のキャンプで、たしかによくなったという実感があった。で、西本さんはオープン戦初戦から私を三番に据えたのです。ところが、私はまったく打てなかったのです。いつまでたってもヒットが打てない。西本さんはそれでも三番を外さない。とうとう新聞記者が「まだ加藤は三番なのか?」という表現で批判し始めた。私は耐えられなくなって西本さんに「三番を外してください」と懇願しました。すると西本さんは「いや、外さん。打てなくても使う」と私を突き放しました。前の年は、ロッテに優勝を奪われ、何としてもしっかりした三番を作るんだ、という意図があったのでしょうね。三番の私が左で四番の長池さん(徳二外野手)が右。理想的な形ではあったワケです。

 そうだ、その長池さんですが、西本さんはすでに長池さんでインコース打ちを成功させているんです。どうしてもポール際の打球がファウルになってしまう。それを、西本さんの指導で、長池さんの打球は、いったんファウルのコースを飛んで、それから内にグッと入り、ポールの内側に落ちるようになったのです。長池さんだからできたのでしょうけど、西本さんの指導にかける執念が分かってもらえると思います。ティー打撃で監督自らがトス。これでは休むわけにはいかない

 私に戻ると、オープン戦の最後の3、4試合あたりでした。西京極の広島戦です。私はホームランを2本打っちゃったのです。1本目はレフト、2本目はライトと打ち分けた。そこから、ガーッとくるものがありまして、そのあとの中日戦でもガンガン打てた。この最後のオープン戦の勢いのまま、その年はず〜っとつながってしまった感じでしたね(打率.321をマークして一気に打撃10傑の2位! 35二塁打はリーグ最多。本塁打も25。打点92という素晴らしい成績だった)。この年23歳です。大学出なら1年目ですよね。ほかの人に遅れてはいないな、という実感を持つことができました。そうしたらね、西本さんが「ホンマ、良かったなあ」と両手で握り締めてくれたんです。これは忘れられん思い出ですねえ(西本監督には加藤氏の成功は、自分の理論、指導の成功でもあったのだ)。

この独特のフォームであらゆるボールを拾っていった



 西本さんの直接指導はまだ続きます。今度はティーバッティング。監督自らがトスするんですから、参りました。1時間はたっぷりやります。監督がほうってくれるのだから打たざるを得ませんし、休めません。しかし、ようあれだけ立て続けにトスできたもんです。「オレは監督とのティー打撃で体力作りをやったのかもしれん」なんて思ったりしました(笑)。

 私は4年目(72年)に甘さが出ました。「こんなもんかい」で少々テングになっていたんですね・・・

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“レジェンド”たちに聞け!

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プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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