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第37回 城之内邦雄「王さんは不調になるとブルペンで投げ始めた」

 

シュートを武器にV9巨人前半の大エースとして、マウンドで仁王立ちした城之内邦雄氏。「エースのジョー」というニックネームが、まさにピッタリくる右腕だった。プロ野球の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビュー。第37回は城之内氏が、ONをバックに投げ続けた巨人でのマウンドを振り返る。
取材・構成=大内隆雄 写真=BBM



一球入魂で、この1球で仕留める
ムダな球を投げない結果の36完封は自慢できる


「エースのジョー」という表現を読んで、「宍戸錠」と「城之内邦雄」のどちらをイメージする人が多いだろうか。「どちらも知らない」と言われればそれまでだが、取材・構成者の年代にはどちらも懐かしい「ジョー」である。

今回登場の「ジョー」、城之内邦雄氏は「宍戸さんのジョーと僕のジョーはほぼ同じ時期に使われ出したのじゃないですか。さて、どっちが先かなあ」と笑う。恐らく、日活映画中のハジキ(拳銃)の名人、宍戸錠が「エースのジョー(錠)」と呼ばれたのが少し先で、のちに城之内氏が必殺のシュートボールで打者をバタバタとなぎ倒していったことから、さらに巨人のエースになったことから「エースのジョー(城)」と呼ばれることになった、というのが順序だったと思う。

話が脇道にそれるが、宍戸錠は、日活のプログラムピクチャーの中より、少し外れた『殺しの烙印』のような作品の方が「ジョー」らしかった。これは鈴木清順作品だったが、パロマのガス炊飯器を抱え込みながら「オレはこの匂いが好きなんだあ!」と叫ぶシーンがなんともいい。「エースのジョー」の最高のワンカットではなかったか。

城之内氏のピッチングも武骨一辺倒ではなく、遊び心があった。国鉄時代の豊田泰光氏に、全4打席、すべてシュートボールを投げてきたことがあったという。「ああいう勝負はいいよ。4打席目になんとかセンター前に打ったけどね」と豊田氏。

こういう余裕、遊びがないと、ルーキーの年(62年)から6年も続けて17勝以上というコンスタントな成績は残せない。これは、巨人史上、城之内氏のみが持つ大記録。この間、20勝以上3度。いまのプロ野球なら毎年最多勝の数字だ。まさに「エースのジョー」。V9巨人前半の大エースだった。


 そんな記録があったんですか。よく持ったもんですね。私はね、四球が少ないんですよ。投手にムダな球はいらないんです(64年は262回も投げて四球わずかに39! 1年目から6年目まで、防御率がすべて2点台、それもほとんど前半というのも、このムダ球はいらない精神実践の結果だろう)。これは社会人(日本ビール)時代からのもので、常に「一球入魂」を心掛けていましたから。この1球で仕留めるんだという。

 私が一番自慢できるのは36完封です。堀内(恒夫投手、巨人)がたしか37完封です。私の141勝より60勝も多い、(203勝)堀内とほぼ同じなんです。ムダな点をやらない、これが投手の仕事なんです。

 あのシュートをどのようにしてモノにしたのか? 実は、私は高校、社会人とカーブが得意だったのです。それが、社会人4年目の静岡大会でライナーに右手を出してしまい、中指が横に切れてしまった。治ってからカーブの曲がりが悪くて武器として使えなくなった。中指の力が弱くなってしまったんです。ところが、人間の体というのは不思議なもので、それを補うために人さし指が強くなってきたのです。そこからシュートを覚えたわけです。シュートを投げるのには人さし指が一番大事ですから。

 それと縄跳びの二重回し、これを毎日、毎日やりました。それはね、手首、ヒジ、腹筋、背筋、すべて鍛えられるんです。特に手首、これは、シュートを投げるときの動きそのものなんです。よく、シュートはヒジを壊すと言われますが、私の投げ方はヒジにまったく負担がかからないんです。だから、現役時代、私は肩、ヒジを1度も壊したことがありませんでした。ただ、腰を痛めてしまい、それで引退したのです。

まさに「エースのジョー」にふさわしい荒々しいフォーム。しかし、制球力は抜群だった



曲がりながら落ちるフォークとシュートの中間の球
やや甘めに投げ併殺打に


 私のシュートは、のちの平松(政次投手、大洋)のシュートとは違い・・・

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