低迷期を抜け出せない阪神にあって、孤軍奮闘の働きを見せたのが藪恵壹である。“ エース”と呼ばれるようになる前夜、対巨人との因縁の2試合を振り返る。 構成=坂本匠 完全試合男との戦い(1994年5月24日、甲子園球場、対巨人)
入団の1994年はいわゆる阪神の暗黒時代ど真ん中(87年から01年までの間で6位10回。Aクラスは92年2位の1度だけ)であった。朝日生命からドラフト1位で入団したばかりの藪恵壹(当時の登録名は恵市)は、即戦力と期待され、開幕から先発ローテーション入り。新人ながらデビューから6試合を終えた時点で3完投4勝1敗、1試合の平均球数はなんと123.5球とフル回転。今の時代では考えられないほど、タフなプロキャリアのスタートを切っている。そんな藪の最も印象的な試合が、デビュー7戦目で初めて巡ってきた、巨人との一戦である。 良い思い出(GAME1)も、あとで紹介する悪い思い出(GAME2)のどちらも、新人年の巨人戦です。まずはGAME1から。プロ7戦目で初めての登板となった、甲子園での巨人戦(5月24日)でした。現在の選手にはほとんどないことでしょうが、僕らのころは、まだ、チーム内にも巨人戦は特別な試合という雰囲気がありました。ベテランの選手やOBの方に言わせると、「ルーキー(の僕)が巨人戦に先発するなんてまだ早い」といった感じです。でも、僕自身は巨人だから特別、という感情はありませんでした。
広島戦も
中日戦も同じ1試合。相手がどうのこうのではないと思って投げていましたね。
ただし、巨人打線は純粋に強いと思っていました。
松井秀喜がいて、
緒方耕一も足が速いし、
落合博満さんは言うまでもない。
吉村禎章さん、
岡崎郁さん、
篠塚和典さんと、左の巧打者が多かった印象です。それと、GAME2でもキーパーソンとなる
村田真一さんが、異常なほど甲子園で打った。地元・兵庫(滝川高出)という意識があったのでしょうね。
ただ、この日の試合、誰を警戒するではなく、巨人先発の
槙原寛己さんが気になっていました・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン