投じるフォークは“お化け”と称された。そんな魔球を駆使して三振の山を築いたのが阪神・オリックスで活躍した野田浩司だ。代名詞である奪三振にまつわる2試合を振り返る。 構成=鶴田成秀 チームが導いたタイ記録 (1994年8月12日 オリックス - 近鉄戦[神戸])
華麗なる奪三振ショー。その背景には、勝利への熱き闘志があった。13連勝と勢いに乗る近鉄。優勝を見据えるオリックスのエース右腕は「ストップ・ザ・近鉄」を胸にマウンドに上がった。 思い出の試合を挙げれば尽きませんが、やっぱり三振にまつわる2試合ですね。勝った試合と負けた試合になりますが、まずは勝った試合から。近鉄と対戦して日本タイ記録となる17奪三振を記録した試合です。
この年の前年(93年)にオリックスに移籍してきた僕は、17勝(5敗)を挙げて最多勝を獲得。自信を持って臨んだシーズンだったのですが、6月を終えて、わずか2勝。「何かおかしいぞ」と思いながら、フォームを確認したりして、試行錯誤を繰り返していました。そうして7月に入ると、調子が上向いていったんです。
そんな中で、近鉄が7月下旬から13連勝と勢いに乗り、パ・リーグの上位争いに食い込んできた。オリックスも優勝を狙える位置にいたので(最終順位は近鉄と同率で2位)、チーム内では「ストップ・ザ・近鉄」が合言葉でした。試合前のミーティングでも「近鉄を止めないとアカン」と言われ続け、僕自身も調子が上がっていたので「ストップ・ザ・近鉄」を胸にマウンドに上がったんです。
でも、試合序盤から中盤は不甲斐ない投球内容でした。そこから尻上がりに調子を上げていき、6回には逆転してもらったのですが、7回にノリ(
中村紀洋)に同点打を浴びて。それも、めったに投げないスライダーを打たれてしまい……。
イヤな流れになりかけたんですが、8回は走者を出しながらもアウトはすべて三振。もう点はやれない。近鉄の勢いを止めたい。その一心で投げ続けていました・・・
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