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1試合19奪三振の新記録!野田浩司氏が語る“僕の財産”の試合

 

投じるフォークは“お化け”と称された。そんな魔球を駆使して三振の山を築いたのが阪神オリックスで活躍した野田浩司だ。代名詞である奪三振にまつわる2試合を振り返る。
構成=鶴田成秀


チームが導いたタイ記録 (1994年8月12日 オリックス - 近鉄戦[神戸])


華麗なる奪三振ショー。その背景には、勝利への熱き闘志があった。13連勝と勢いに乗る近鉄。優勝を見据えるオリックスのエース右腕は「ストップ・ザ・近鉄」を胸にマウンドに上がった。

 思い出の試合を挙げれば尽きませんが、やっぱり三振にまつわる2試合ですね。勝った試合と負けた試合になりますが、まずは勝った試合から。近鉄と対戦して日本タイ記録となる17奪三振を記録した試合です。

 この年の前年(93年)にオリックスに移籍してきた僕は、17勝(5敗)を挙げて最多勝を獲得。自信を持って臨んだシーズンだったのですが、6月を終えて、わずか2勝。「何かおかしいぞ」と思いながら、フォームを確認したりして、試行錯誤を繰り返していました。そうして7月に入ると、調子が上向いていったんです。


 そんな中で、近鉄が7月下旬から13連勝と勢いに乗り、パ・リーグの上位争いに食い込んできた。オリックスも優勝を狙える位置にいたので(最終順位は近鉄と同率で2位)、チーム内では「ストップ・ザ・近鉄」が合言葉でした。試合前のミーティングでも「近鉄を止めないとアカン」と言われ続け、僕自身も調子が上がっていたので「ストップ・ザ・近鉄」を胸にマウンドに上がったんです。

 でも、試合序盤から中盤は不甲斐ない投球内容でした。そこから尻上がりに調子を上げていき、6回には逆転してもらったのですが、7回にノリ(中村紀洋)に同点打を浴びて。それも、めったに投げないスライダーを打たれてしまい……。

 イヤな流れになりかけたんですが、8回は走者を出しながらもアウトはすべて三振。もう点はやれない。近鉄の勢いを止めたい。その一心で投げ続けていました・・・

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