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わが思い出のゲーム

「もう退場してもいい」…本西厚博が語る思い出の2試合

 

堅実な守備でチームに貢献し、ファンを沸かせた本西厚博氏。そんな守備職人が、今なお自身の胸に焼きついている2試合を熱く語った。
構成=鶴田成秀


狙い打ちしたプロ第1号(1987年7月1日 阪急-近鉄戦[日生])


弱肉強食のプロの世界。若手もベテランも出場機会をめぐり、チーム内競争は熾烈を極める。そんなプロの世界に飛び込んだ24歳のルーキーは、チャンスをモノにしようと、果敢にバットを振った。のちに外野守備は「球界随一」と称された男が、日本最高峰の舞台で生きていく自信を得た“一打”を振り返る。

 思い出の試合は攻守で1試合ずつ。まずはバットで思い出に残っている試合から。私は守備力を買われて出場機会を得ていましたが、やはり打てなければ試合で使ってもらえない。1年目は当然、そんな思いが強かったので、ルーキーイヤーの1987年に放ったプロ初ホームランが忘れられません。

 とにかく1年目は必死でした。社会人時代(三菱重工長崎)に日本代表に選ばれ、期待されて入団しただけに「結果を残さなければ」「ほかの選手には負けられない」という思いが本当に強かった。けれど、当時の阪急の外野陣は、とにかく層が厚く、福本(豊)さん、簑田(浩二)さんは不動のレギュラー。空いているのは1枠だけ――。その枠も山森(雅文)さん、南牟礼(豊蔵)さん、熊野(輝光)さんが争っていた。試合に出るどころか、一軍にいるだけでも容易ではなかったのです。

 そんな中でのプロ初ホームランは、3者連続の3人目で放った一発でした。2対1で迎えた6回に私の前を打つ、四番の石嶺(和彦)さん、五番の簑田さんが2者連続ホームラン。結果的に3者連続ホームランとなりましたが「正直、打てるわけがない」「思い切りいくだけ」と思って打席に立ったんです。

 開き直っていたことに加えて、気持ちを楽にしてくれたのが上田(利治)監督の一言でした・・・

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