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野球浪漫2015

ロッテ・香月良仁を支えた兄の言葉、父の教え

 

活躍が華々しく報じられることの少ない中継ぎというポジション。だが、チームには絶対に欠かせない役割を果たし、確かな信頼を築き上げている。父、そして兄の思いに支えられながら、今日もマウンドへと向かっていく。
文=梶原紀章(千葉ロッテ広報)、写真=中島奈津子



惣菜担当との二足わらじ


 朝7時に仕事場に入ると、惣菜担当として、コロッケやカラアゲを揚げ始める。長いときで8時間。大体、午後3時ぐらいまでその仕事をこなす。

 香月良仁は第一経大を卒業して、社会人野球チーム・熊本ゴールデンラークスで野球を続けるべく、鮮ど市場に入社した。配属されたのは熊本県内の菊陽店。正社員としてスーパーに出勤しながら、夕方から野球をする。そんな日々を送っていた。

「懐かしいですね。確かにハードなスケジュールだったかもしれませんが、それが日常になっていた。コロッケも普通に揚げていた。コツも覚えましたし。安売りセールの日なんて、600個以上、売れる。どんどん揚げないと間に合わないんです」

 マリーンズに入団して7年目を迎える今季。あのとき、惣菜担当としてエプロンを着け、コロッケやカラアゲを元気良く揚げていた若者は今、リリーバーとして安定感ある投球で、チームに欠かせない存在となっている。

 勝ち試合、負け試合、延長戦。出番はいつ何時、訪れるか分からない。そんな状況下で、香月はいつもしっかりと準備をして、呼ばれればマウンドに向かい、黙々と任務を果たす。

 これまで携わったいろいろな人の思いを胸に、与えられたこのチャンスを逃すまいと必死に、ガムシャラにボールを投じている。

「今までの野球人生からして、あまりチャンスが多かったわけではない。自分自身が目立つ方ではなかったので。だから、このチャンスが最後かしれないと、いつも思いながら投げています。どんなに負けている場面でも、逆に苦しい場面でもこれが最後と思い、1球を大事に必死です」

 当時の自分を思い返しながら、懐かしそうに香月は話し出した。同じ店舗には3人の野球部員が配属されていた。野球部員はユニフォームに模した背番号と、ネーム入りの専用コスチュームが用意されていたこともあり、お店の常連のお客さんなどに応援される存在となっていた。

 それは地元である熊本県民に愛される存在になってほしいという企業理念から、チーム名に企業名を入れていないことからも分かる。地元の人たちから応援され、愛されるチームだった。

「お昼は大体、近所のおばあちゃんが『野球、頑張りなよ』って、お弁当を作ってくれるんです。常連のお客さんは試合も見に来てくれて応援してくれる。本当に地元に支えられている感じがしました。あれが今の自分の原点。もちろんあの日々がなければ今はありません」

スーパーに勤務しながら練習に励み、都市対抗では自らの力をアピールした[写真=BBM]



突然の父の死と兄の激励


 香月は第一経大卒業を前に九州の名門社会人チームのセレクションを受けている。テストでは抜群のピッチングを見せた。三振に次ぐ三振。手応えはあったが、合格通知が来ることはなかった。後日、すでに合格者は決まっており、形式上の一般テストだったことを知った。そのときの悔しさと挫折感は今でも忘れられない。

 野球を続ける道はもうないと思い、一度はユニフォームを脱ぐ覚悟を決めた。そんなときに励ましてくれたのは、すでにプロ入りしていた1歳上の兄だった。柳川高から東芝、そして04年に自由枠で近鉄に入団した兄・良太(現巨人)。いつも一緒に野球に明け暮れ、自分とは違い、エリート街道を歩んだ雲の上の存在である兄は力強く励ました。

「辞めたらダメだ。何とかどこかで3年間、野球をしてみろ。プロへの道が開けるかもしれない。とにかく自分からあきらめたらダメだ。頑張ってみろ」

 野球を続けるチャンスをくれたのが、創設したばかりで選手を集めていた熊本ゴールデンラークスだった・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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