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復活を遂げたヤクルト・館山昌平に密着「まだ僕には戻る場所があった」

 

7度の手術を経て、“負けない男”が帰ってきた。2008年から5年連続の2ケタ勝利を挙げ、09年には最多勝のタイトルも獲得。そんな順風満帆かと思われたプロ野球人生は、ケガとの壮絶な闘いでもあった。誰よりも強い意志と賢明なリハビリで不死鳥の如く舞い戻ってきた右腕は、14年ぶりの優勝へ向け奮闘するチームをけん引している。
文=竹村和佳子(東京中日スポーツ)、写真= BBM

6月28日の復帰戦には3万1531人のファンが神宮に詰めかけ、「おかえり!」と館山コールを響かせた



謝罪、そして感謝


 鳳凰、火の鳥、フェニックス――。世界各地の神話、伝承に出てくる不死鳥は、自ら炎に飛び込み一度死んで、その灰の中から生まれ変わることで、永遠の命を生きるという。球界にも、自らの命を燃やし、7度の手術を受けながらも、その都度に輝きを増してよみがえってきた男がいる。今まさに14年ぶりのリーグ優勝を狙うヤクルトに、2年ぶりに舞い戻った館山昌平が、その人だ。

 6月28日巨人戦(神宮)。自身3度目となる右ヒジ内側側副じん帯再建手術(トミー・ジョン手術)からの復帰戦で、最初の打者・長野久義を3球で見逃し三振に切った。814日ぶりの一軍戦登板というブランクをみじんも感じさせない、鮮やかな復活劇。冷静に見えたが、「あの瞬間、半泣きでした」。4回を投げ4失点で降板したが、「この試合は絶対落とせない」とチームが奮起し逆転勝利。守護神・バーネットがコールされたときには、「もう我慢できなかった」とタオルをかぶってベンチ裏に下がって号泣した。自身に白星はつかなかったが、館山の存在が呼び込んだ勝利だった。続く7月11日のDeNA戦(神宮)では6回を1安打、1失点に抑え、1019日ぶりとなる文句なしの白星を挙げた。久々のお立ち台で最初に出た言葉は「長かったですね。遅くなってすみません」というファンへの謝罪。そして「陽子、海音(かのん)、ありがとう」と、最愛の妻、娘への感謝の言葉だった。

 館山の体には肩、ヒジ、二の腕、手首、手のひら、指、股関節など計151針もの縫い跡がある。最初に体にメスを入れたのが日大4年を迎える春。右肩だった。初めてのトミー・ジョン手術はプロ2年目の2004年春。プロ入り前後から受難の日々は始まっていたが、1年間のリハビリを経て05年にはローテに定着し、自身初の2ケタ勝利となる10勝をマークしている。16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得した09年を含み、08年から5年連続2ケタ勝利を挙げ、1学年上の左腕・石川雅規とともに左右両エースとして活躍してきた。

 だが、この間にも血行障害などの手術をしている。メスを入れる怖さはないのかと聞くと、こう答えた。

「この世界で勝負していくためには、僕の力ではケガのリスクを恐れた投球ではムリなんです。打者を抑えるためには全力で腕を振り、さまざまな変化球を使っていかないといけない。その結果、体がもたなくて故障してしまっても仕方がないと思っています。そして、プロとして野球を続けていくための方法が手術なら、そこに迷いはないです。ケガを理由に野球をあきらめたくはないし、ケガで苦しんでいる他の選手たちに向けて、あきらめる必要はないんだというメッセージになればとも思っています」



支えてくれた仲間と家族


 手術自体も体に負担をかけることだが、精神的にも肉体的にも、本当につらいのは術後のリハビリだ。痛みをこらえながら、反復動作で少しずつ可動域を広げていく。状態は一進一退し、必ずしも右肩上がりに良くなっていくわけではない。それは地道で孤独な作業だ。血行障害の手術後は、指の1本1本に負荷をかける筋トレを行ったり、ヒジに移植する靱帯を足から取った13年の手術の後は、段差を避けるため、リハビリをする埼玉県戸田市の二軍施設近くにあるバリアフリーのホテルに部屋を取って約1カ月暮らし、合宿所近くの土手を約15キロ、黙々と歩く姿がよく見られた。

 つらいリハビリ生活の支えになったのは、仲間と家族だった・・・

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