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野球浪漫2016

ドキュメント 日本ハム・宮西尚生「スポットライトなんて自分にはいらない」

 

ファイターズのブルペンにこの男がいない日はない。そう言えるだけの実績と信頼を宮西尚生は入団からこれまでの日々で築き上げてきた。ルーキーイヤーの08年から昨年まで8年連続の50試合以上登板、プロ9年目の今季は史上2人目の通算200ホールドも達成。中継ぎのエキスパートの証しでもある「ホールド」でパ・リーグ史上初の偉業を達成したタフネス左腕の根底には、野球を始めたころから変わることのない反骨の精神が宿っている。
文=赤坂高志(道新スポーツ新聞社)、写真=早浪章弘、高原由佳


スポットライトなんて自分にはいらない


 札幌ドームでの5月14日の西武戦。3点リードの7回からマウンドに上がった宮西は右打者2人をリズムよく料理し、最後は昨年シーズン最多216安打をマークした秋山翔吾を宝刀スライダーで中飛に抑え、三者凡退で敵の反撃を退けて今季7個目、さらには史上2人目の通算200ホールドを達成した。自身478試合目での金字塔の達成だった。

 記録達成を祝し、本拠地に詰めかけた4万1138人のファンを前にしてのお立ち台。球団OBの岩本勉氏をインタビュアーに迎えてもなお、喜怒哀楽を見せることなく淡々と偉業を振り返るだけだった。

「明日も試合がありますし、気持ちは常に一定にしています」

 宮西が常々口にする言葉がある。

「中継ぎは打たれれば目立つし、抑えて当たり前と思われるポジション。スポーツニュースで中継ぎが出てくるのは抑えた場面ではなく、打たれた場面がほとんど。でもそれでいいと思っているし、抑えてもなお、目立たない。スポットライトはいらない。それが中継ぎ投手だと僕は思っている」

 基本的にお立ち台には上がらない。その試合で“ヒーロー”になり得ても、次の試合ではその逆の“戦犯”にさえなる立場だからだ。例えるならば天国と地獄の境界線が極めて薄い、むしろ表裏一体とも言える板の上に立つ過酷な日常──。だからこそ意識して結果に一喜一憂しない姿を貫き続けている。

 1985年6月2日。兵庫県尼崎市で産まれた左腕には自らの意志とは関係なく、白球を追う道があらかじめ用意されていた。その世界へ誘ったのは大の高校野球ファンでもあった母の純子さんだった。「集団生活の中で大人になってからでも役に立つ何かを学んでくれれば」と小学校入学前の息子の手を引き、近所の地元少年野球チームに連れていったのが始まりだった。

 願いどおりにチームにも溶け込み、小学校3年ぐらいから大会デビューした宮西少年は、その後「投手」として上達を重ねて5年時にはチームの先発を任されるまでになった。投げる喜びや勝利したときの達成感など、チームスポーツとしての「野球」の魅力に日に日に惹かれていった。

 中学では初めて硬球を握り、尼崎ボーイズへ。ここから今現在までのプロ9年間常にフルシーズン一軍で成績を残し続けてきた左腕の礎は構築された。それは細部をたどれば理論にも通じるが、宮西の場合はまずは「徹底して体をいじめ抜く」ことこそがノウハウだった。授業が終わればチームの同級生に荷物を預け、自分だけは自宅から約6キロ離れたグラウンドへランニングで往復。当時のボーイズの監督が厳しい指導方針で練習中も宮西だけは常に“走る”ことが命じられ、延々と2時間グラウンドを走り続けたこともあった。

 それがすぐに成果につながるのなら中学生でもやりがいはある。しかし、これが「成果」として表れるのはまだ先の話だった。チームのエースを目指しながら実際の試合では野手兼任の選手が投手起用されることもあり、その悔しさから母の純子さんに「やめたい」と弱音をこぼしたこともあったという・・・

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