2007 年の入団当時、ソフトバンクの育成選手は山田ただひとりだった。一度は自由契約となるも、王貞治球団会長に見いだされ再契約。悲願の支配下登録を勝ち取ると、“育成の星”は輝きを放つ。その後、制球難に苦しみ、一軍の舞台から遠ざかるも、めげることなくやってこられたのは、ひとつの思いがあったから。自分を見いだしてくれた王会長へ、チームへ恩返しがしたい──。再び輝くべく、キモチの投球で立ち向かっていく。 文=田尻耕太郎(スポーツライター)、写真=湯浅芳昭、松田杏子 制球難に苦しんだ日々、キモチが自分を変えた
ガツン!木製バットの衝突音が耳に突き刺さる。まるで弾丸のような打球を左翼ポール際へ持っていかれた。
左か、それとも右か。
その行方が、たった一球が、ソフトバンク10年目左腕の
山田大樹の野球人生さえも、左右しかねない。それは決して大袈裟な表現ではなかった。
6月7日、
DeNA戦。初回2アウト一、二塁での1シーンである。ヤフオクドームの先発マウンドに立った山田は、これまでに感じたことのない緊張感を覚えていた。
「心臓をわしづかみされたように胸が苦しかったというか……。過去に日本シリーズで先発したこともありますが、まったく別物でした」 一軍マウンドは2年前の5月以来。ぶ厚いソフトバンク先発陣にあって、
バンデンハークが疲労蓄積を理由に登録抹消されたことで1枠が空いたために、背番号34の大型左腕にようやくチャンスが巡ってきた・・・
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