昨年のこの時期、誰も阪神の開幕スタメンマスクを岡崎太一がかぶるとは思っていなかっただろう。だが、開幕直前になると、誰もが納得していた。開幕戦のまっさらなホームベースの後ろには、心技体、すべてが変わった岡崎が座っていた。胸を張ってプロ野球選手と言えるだけの準備と努力を重ね、自信を持った背番号57が――。 文=佐井陽介(日刊スポーツ新聞社)、写真=前島進、BBM できないじゃなくやっていないだけ……
遠足の引率を任された先生のようだ。岡崎太一は深夜、電気を薄暗くしたリビングでフェルトペンを手に取る。画用紙に書き記すテーマは「カレーの作り方」だ。
「(1)野菜を食べやすい大きさに切る」
「(2)お肉を大きめに切る」
「(3)仲良く作ることができたらカレーはさらにおいしくなります」……。
33歳。長男は小学2年生に成長し、6歳の長女、1歳半の次女はかわいい盛り。たまの休日は山へバーベキューに出掛けることが多い。
「オレは妙に凝り始めて、桜のチップを使って薫製に挑戦したりするけどね。やっぱり子どもたちが作ってくれたカレーが一番おいしいよ」 世界一のごちそう?をほお張りながら、毎度毎度、心に誓う。
「中途半端なまま終わって、お父さんの仕事を聞かれたときに自信を持って答えられないのはイヤ。そうはなりたくない」 社会人野球の名門、松下電器(現パナソニック)から2005年ドラフト自由枠で阪神入団。即戦力捕手と大きな期待をかけられながら伸び悩んだ。昨季までの11年間、一軍出場は計41試合止まり。存在感はどんどん薄れていった。
チームは不動の正捕手だった
矢野燿大が晩年に入ると、毎年のように経験豊富な捕手を補強し続けた。メジャー帰りの
城島健司を獲得した09年オフを皮切りに10年オフは
藤井彰人、12年オフは
日高剛、14年1月には
鶴岡一成。ここ数年は秋風に吹かれる時期、必ずといっていいほど「戦力外通告」というフレーズが脳裏をよぎるようになったという。
「そりゃあ、10月になるたびにクビかなって考えたよ。焦り始めたのは城島さんが入ってきたときかな。前の年に狩野(狩野恵輔)さんが120試合以上出て、自分もチョコチョコ14試合出させてもらった。なのに城島さんが来るということは、自分たちがダメだったということ。そのとき初めて、これはヤバイぞと感じた。でも、それもこれも全部自分が悪いんだけどね。自分がプロに入って3、4年でしっかり結果を出していれば、捕手が補強ポイントになることもなかったんだから」 ある日、子どもが寝静まった夜、妻の明通子さんに「オレ、危ないかも……」と切り出した・・・
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