悩みながらも前に前に進んできたプロ野球人生だったが、打撃が振るわず、2歳下の西田明央の台頭を許してしまう。そして8年目のオフ、初めての減俸を味わった。だがその表情に悲壮感はなく、むしろ強い決意がにじんでいた。目指すべき高みへ、下を向いている時間はない。 文=阿部ちはる、写真=BBM 喜びからどん底へ。初めて感じた悔しさ
厚い雲が垂れ込めた薄暗い空を見上げ、初めての減俸を受け止めた。
「こんな感覚になるのかな、と。悔しかった。でも、すがすがしさもありますね」 中村悠平は2016年シーズンを“原点回帰”と位置付けた。
「やるのは自分次第なので、やらないよりはやって、完全燃焼していきたい。やらなかったら何も始まらないので。そういったことにも気づかされた1年でした」 冷静になって考えればそう言える。だが根底には沸々と込み上げる悔しさがある。昨シーズン、ベンチの中から試合を見ているとき、ずっと考えていた。
「もうこんな思いはしたくない」 強肩を武器に福井商高から09年ドラフト3位で入団し、順調にステップを踏んできた。ルーキーイヤーは5試合に出場。正捕手には
相川亮二が座っていたが、それでも経験を積ませていたのは首脳陣からの期待の表れだった。出場こそなかったが11年にはクライマックスシリーズでもベンチ入り。その緊張感を肌で感じ、自身の糧にしてきた。すると4年目の12年からは出場数を相川と分け合うほどにまで成長。相川とがっぷり四つに組み、その座を争うようになっていた。
そんな中、14年オフに相川がFAで
巨人に移籍。突然ではあったが、正捕手というポジションが舞い込んできた。
2年連続最下位から抜け出すべく、
真中満新監督となり、正捕手も変わる。もし再び最下位になれば「中村では勝てない」と思われても仕方がない。
「今後の野球人生がかかっているような1年になる」 そう自分に言い聞かせ15年シーズンに臨んだ。そして・・・
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