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真実一路〜野球浪漫〜 2017に懸ける
ソフトバンク・高橋純平 胸躍る場所 「すごくうれしかったんです。簡単に乗り越えられない壁ができたって」
ソフトバンク・高橋純平 胸躍る場所 「すごくうれしかったんです。簡単に乗り越えられない壁ができたって」

 

高校時代から注目の的だった。常勝軍団の仲間入りを果たすと注目度はさらに増した。誰もが待ちわびた黄金ルーキーの一軍登板。しかし、その日は来なかった。悔しさとともに、より一層強くした一軍マウンドへの思い。2017年、初のA組キャンプを高評価で完走すると、本当のサバイバルが幕を開けた。
文=福谷佑介(スポーツライター)、写真=湯浅芳昭、大泉謙也

運命に導かれ進学先を変更


 端正なマスクは、凛々しさを増した。あどけなかった1年前の姿は、徐々に消えつつある。か細かった体は、ひと回りも、ふた回りも大きくなり、プロ野球選手らしいガッチリとした体つきへと変貌した。高校時代を知る知人に会えば、その体型の変化に驚かれる。「今年は絶対に一軍で投げたいんです」と語る口調には、自然と力がこもる。

 例年以上に晴天に恵まれて終わったソフトバンクの宮崎キャンプ。主力組が集うA組(一軍)に抜てきされた19歳の右腕は、開幕一軍入りに向けて懸命にアピールを続けた。

「張りがある感じ、緊張感がある感じがします。一軍の選手たちと練習していると、(二軍でやっているのとは)違う刺激がありますね」

 先輩たちに囲まれる、慣れない環境の中で、必死に汗を流していた。

春季キャンプではノック中に打球が左目を直撃し青あざを作ったが、離脱することなく最後まで貪欲に首脳陣から教えを乞うた


 岐阜県岐阜市。名鉄岐阜駅からほど近い街中で、姉2人の末っ子長男として生まれた。幼少期は野球だけでなく、友人とサッカーにも興じていた。

「小学校1年生のときには、僕もサッカーをやろうかなと思っていました。野球を始めた梅林スポーツ少年団は2年生からしか入れなかったし、同級生はサッカーばかりだったので」

 それでも、野球への道に進んだのには、子どもながらに感じるところがあったからだ。

「ドッジボールが強いとか、投げるのが強いとか。細かい動きは苦手。お父さんとキャッチボールをしていて、強い球、速い球を投げるのが得意だった。野球のほうが向いているのかなというのは、小さいながらに分かっていたんです」

 同じ学年で野球の道に進んだのは、わずか3人。1学年上は2人しかいなかった。周囲はほとんどがサッカー少年。自身も根っからの野球少年というわけではなく、小学生のころから能力が特別秀でていたわけでもない。

「小学校のチームも強いわけじゃなくて、ただ、相手チームの選手に球が速いぞって思われるくらいの感じだった」

 幼いころからエリート街道を歩んだわけではない。揖斐本巣ボーイズでプレーしていた中学時代に最速142キロをマークしたが、さほど注目されていたわけでもない。人生を変えた県岐阜商高への進学。進路を決める際に「人生で一番、親と喧嘩をした」と言う。

 岐阜には、県岐阜商高と市岐阜商高という2つの野球の強豪校がある。

「中学の県選抜で仲が良かった子たちがみんな市岐阜商に行くから、僕もそこに行きたかった。でも、親は県岐阜商に行かせたかったみたいで。県岐阜商は県内の商業高校の中で頭が良い高校。自分で頭が良くないのは分かっていたし、入って勉強で苦労する、周りができるのに、自分だけできないのがイヤだった」

 県岐阜商は県内でも名が通る高校。「県岐阜商の卒業生というだけで、企業の入社試験に通るくらい。親の言い分は、野球でダメでも、将来安定する可能性が高いからということだった」。そのときまでほとんど親にはむかうことのなかった少年が初めて親と対立。言われることを無視し、母から涙ながらに説得されることもあった。

 そんな気持ちを一つの出会いが一変させた。当時、監督を務めていた藤田明宏氏(現朝日大監督)。そのときの衝撃は・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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