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野球浪漫 進むべき道を切り開け〜勇往邁進〜
ヤクルト・榎本葵 野球ができる喜び 「戦力外はやっぱりという気持ちと、今後どうしようという気持ちで複雑だった」
ヤクルト・榎本葵 野球ができる喜び 「戦力外はやっぱりという気持ちと、今後どうしようという気持ちで複雑だった」

 

高校時代は“九州のイチロー”と呼ばれた。楽天入団後は骨折を乗り越え、忘れられないサヨナラ打も放った。しかし、その後は思うような結果を残せず、2016年限りで戦力外に。ここで手を差し伸べてくれたのがヤクルトだった。新天地で迎えた17年シーズン、新たな気持ちで白球を追いかけている。
文=吉村大佑(サンケイスポーツ)

戦力外通告を受けて考えた第2の人生


 春を迎えても寒さが続いた影響で、桜がまだ咲き残っていた4月上旬。榎本葵は穏やかな陽気に包まれた埼玉県戸田市のヤクルト二軍球場で、全体練習後の居残り特打に臨んでいた。左打席から鋭い打球、ときに大きな飛球を飛ばした。

「打撃は徐々に良くなっていると思います。(ファームの)試合の結果も大事ですが、内容のいい打席を作れるように心掛けています」

 野球ができる喜びをしっかりとかみ締めている。榎本は昨年、戦力外通告を受けていた。楽天時代の2016年9月30日。球団関係者からの電話が鳴った。

「夜だったと思いますけど、家にいたときでした。電話で『明日、スーツを着て球団事務所に来てくれ』と言われました」

 翌10月1日、6年間在籍した楽天からの戦力外通告。育成選手として迎えた16年シーズンは支配下登録を勝ち取れず、一軍出場機会がないままだった。榎本が振り返る。

「(戦力外は)少しは覚悟していました。一生懸命やっていましたが、シーズン中に育成選手から支配下登録される期限は7月いっぱい。その期限が過ぎ、8月になると(二軍での)出場機会も減りました。それでも次の年に向けて気持ちを切らさずにやっていたんです。戦力外はやっぱりという気持ちと、今後どうしようという気持ちで複雑でした」

 戦力外通告を受けたものの、24歳の若者は現役続行を目指した。「まだ野球がやりたい」。そこから、11月12日に行われるプロ野球12球団合同トライアウトの参加を決めた。だが、トライアウトまでの1カ月半、つらい時期もあったという。

「トライアウトに向けて頑張る中、職がない状態でしたから、先が見えないし、どん底を見ました。NPB、社会人野球のチームから声を掛けられなければ野球をやめる覚悟でした。やめたらどういう仕事をするんだろうと考えたり……。高卒でアルバイトの経験もないからサラリーマンはできないかな、とか。トレーナーとか、そういった仕事なら目指せるかな、とか……」

 バットを置き、第2の人生を考える瞬間もあった。トライアウト・・・

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