1球で流れが変わり、1球で試合が決まる。中継ぎは失敗ができない仕事だ。だからこそ、24時間のすべてを費やし全身全霊をそそぐ。高橋聡文はプロ入り16年間、この仕事場で結果を残してきた。2016年から阪神に移籍した理由も、天職の中継ぎとして輝き続けるため。そして今も、円熟味を増しマウンドに上がり続けている──。 文=山添晴治(スポーツニッポン新聞社)、写真=BBM 一瞬で集中力を高め数分間にすべてを懸ける
甲子園球場一塁側アルプススタンド下にあるブルペンから出ると、トビラ越しに聞こえていた歓声が一気に迫力を増し、ブワッと耳に飛び込んでくる。ただ、すでに戦闘モードに入っている左腕の集中力は乱れない。お気に入りのSEKAI NO OWARI「眠り姫」のメロディーに乗り、リリーフカーでマウンドに向かうと、4万人を超える大観衆の視線が一斉に自身に注がれる。そんなしびれるようなシチュエーションが高橋聡文の仕事場だ。
「本当に気持ちのスイッチを入れるのは、コーチから“行くよ”と言われてからですね。まだ自分の出番じゃなさそうなときは、体の準備はしても気持ちは入れないようにしています。オン、オフの切り替えがヘタなのかもしれないけど、1度ガッと気持ちを入れてしまうと、もう1度集中力をマックスまで持っていくのが難しい。だから、ブルペンで“行くぞ”と言われてからの2、3球で、一気にスイッチを入れるようにしています」 中継ぎの専門家ならではの気持ちのコントロールが、極限状況でも力を発揮できる要因だ。例えば5月6日の
広島戦[甲子園]。球団史上初めて9点差を跳ね返して逆転勝ちした歴史的ゲームでは、7回にマウンドに上がった。直前の6回裏に味方が1対9から7点を返し、1点差に迫っていた。一気に阪神側に傾いた流れを、途切れさせるわけにはいかない。まずは先頭の
安部友裕を中飛。
丸佳浩には中前打を許したが、全く動じない。経験豊富な左腕らしく落ち着いて
鈴木誠也、
西川龍馬を打ち取り、10球で役目を果たした。その裏に味方が逆転に成功し、今季初勝利のおまけまでついた。
時には打者1人だけのためにマウンドに上がる中継ぎ稼業。4月12日の
DeNA戦[横浜]では8対5の7回二死一、二塁、相手四番・
筒香嘉智を打ち取ることがこの日の仕事だった。球界最高の打者の1人をファウル2球で追い込み、さすがに粘られてフルカウントとしたものの、最後は直球で押し込んで左飛。投球術のギッシリ詰まった7球、時間にして数分間。ここにすべての力を注ぎ込んだ。

4月12日のDeNA戦[横浜]、相手四番の筒香1人を抑えるためだけにマウンドに上がり、しっかりと抑えて見せた。これこそ中継ぎの醍醐味だ
2015年11月。高橋は人生最大級の決断を下した。14年の5月に取得していた国内フリーエージェント権を1年遅れで行使。01年ドラフト8位で入団し、14年間汗を流した
中日と、自らの意思で決別する道を選んだ。
「ドラゴンズが嫌いになったとかそういうわけじゃない。今でも仲のいい選手ばかりですし。ただ、自分の中で“このままドラゴンズにいたら、だいたいこういう野球人生になるな”というのが見えていたというか。監督もコーチも僕のこれまでのケガのことを知っているし、過保護というとおかしいけど、すごく大事にされているのは分かっていた。だから“多分、毎年30試合ぐらい投げて、それができなくなったら引退するんだろうな”というふうに感じていた。会社員でも40歳のときはこうで、50歳になったらこうしているというのがイメージできるっていうのはありますよね?」 自分の体を考えて大事に起用してくれるのはもちろん、ありがたい。ただ、中日には“満身創痍の高橋”というイメージが必要以上についてしまっていた。確かに、初取得した14年当時は
「正直、勝負できる体じゃなかった」と振り返る。それが15年に入り、数年来悩まされてきた左肩の状態が明らかに良化してきた。
「これなら勝負できる」。ある程度、立場が保証された中日でそのままキャリアを全うする選択肢もあった。でも、自分で自分に限界を作りたくない。
「このままでいいのだろうか?」。誰にも相談せずに自問自答を繰り返し結果が、異例の1年遅れのFA宣言となった。
「自分としては体の状態も含めてもっともっと・・・
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