決して主役を張り、華やかな道を歩んできたわけではない。それでも、小学生時代から扇の要に座り続け、歯を食いしばり、チームを陰で支えてきた。今に至るまでの彼を知る人々の証言が、山崎勝己の生きざまを物語る。 文=谷上史朗、写真=桜井ひとし、BBM 勝てるキャッチャーへ歯を食いしばり続ける
1本の古いビデオテープが手元にある。背表紙のラベルには『2006年5月・プロ野球ニュース(交流戦含む)』。30歳で脱サラをしてしばらくのころ、CS放送のプロ野球ニュースを毎晩録画し、翌朝見ることを日課としていた。その当時、撮りためた中の1本を久しぶりに見たくなったのは、この記事を書くとなり、山崎勝己と言えば……と、私の中にある映像が蘇ったからだ。
久しぶりに電源を入れたビデオデッキにテープを入れ、探したのは5月9日放送分の
ソフトバンク対
広島戦[福岡ドーム]。早送りと巻き戻しを繰り返し、先に出てきたのは初の無四球に12奪三振、完封で
黒田博樹に投げ勝った
新垣渚のインタビュー風景だった。
この日が誕生日でもあった新垣にとってはまさに快心の投球だったはず。しかし、若きエースが喜びを抑え、何度も口にしたのは2つ年下の女房役のことだった。
「山崎がね、山崎がほんとはここにね……。でも、しゃべれないから。<中略>だけど、山崎あっての今日のゲームかなと思います」
その試合の5回。
栗原健太のファウルチップが山崎の口元を直撃した。マスク越しに襲った強烈な衝撃が上の前歯3本を一瞬にして吹き飛ばした。その直後、山崎の元へ駆け寄ったのが、当時ソフトバンクでトレーナーを務めていた丸尾明教(現・
オリックストレーナー)だ。
「初めはベンチで『おいおい痛がっとるわ』とほかの選手と笑いながら見てたんです。それが球審に呼ばれて行ってみると、血はダラダラ、口を開けたら前歯がなくて神経が1本むき出しになってて。これは結構な感じやなと。球審から落ちていた歯をもらって、とりあえず山崎とベンチへ戻ったんです」
本来であれば、いくら強い衝撃を受けてもボールが当たってマスクが変形することはなかった。ところが、この時期、防具の軽量化も進み、結果としてマスクも以前より弱くなっていたのだろう。マスクの前面部分が変形し、そこから直接歯にきた。
それでも山崎は、ベンチ裏で応急処置を施し、痛み止めを使うこともなく戦いに復帰。最後までマスクをかぶり、新垣の完封をサポート。その裏の打席では、ライトへ犠牲フライを放ち、これが決勝打にもなった。試合後には新垣とともにお立ち台に呼ばれたが、話せる状態ではなく“辞退”。王監督の「一番いい歯を入れてもらってこい」の声を受け、丸尾が運転する車で夜間の病院へ直行した──。プロの選手の心身の強さを私の中に強く残した一戦。ただ、山崎には退くわけにはいかない理由があった。
山崎にとってプロ6年目のシーズンは不動のレギュラーだった・・・
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