高校時代は無名ながらプロ3年目に10勝を挙げて飛躍を果たした右腕。自身をプロの世界へと導いてくれた恩人への感謝を胸に、悔しい日々からの巻き返しを図っている。 写真=BBM 背番号「61」のルーツ
帽子のつばの裏を、上目で見る。油性マジックで記した「麿史」の名。
若松駿太の鼓動は、途端に落ち着きを取り戻す。孤独なマウンドでも「ひとりじゃないんだって」。気が付けば、顔も上を向いている。父のような人と交わした約束。「どんなに苦しいときでも下を向くな」。もう5年も守っている。少しは褒めてくれるだろうか──。
穏やかな表情が印象的だった。福岡・祐誠高2年秋。練習中のグラウンドに、スーツ姿の中年男性がやって来た。
中日の九州担当スカウトを務める渡辺麿史。1980年前後に、近鉄で5年間プレーした元投手とは失礼ながら知らなかった。交わしたのは、あいさつ程度。だが、他球団のスカウトと明らかな違いがあった。ひとつは、同じ久留米市在住という親近感。そしてもうひとつは、期待を込めた熱意だった。
「プロに行くチャンスがあるかも」 淡い期待を抱くも、特出した個性がないのも分かっていた。投手ながら、当時は遊撃手も兼務。背番号は15番を着けていた。初めて視察してもらった日も、一塁へのスローイング練習の真っ最中。
「何で投手をやらせないんですか・・・
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