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野球浪漫2017

楽天・青山浩二 出会った人すべてが誇り 「『使わざるを得ない』。首脳陣にそう思ってもらえる状況にしたい」

 


今季は故障の影響もあり、フル回転とはいかなかった。それでも最終登板で迎えた大きな節目。ストッパー転向を打診してくれた、かつての指揮官、支えてくれる妻。すべての人たちの感謝を胸に、青山浩二はマウンドへ向かう。
文=金野正之(河北新報社)、写真=桜井ひとし、BBM

救援として重ねた記録以上の貢献


 10月9日のKoboパーク宮城、プロ12年目の最終登板が通算500試合登板の節目になった。8回を三者凡退に抑えて降板。そして試合終了を迎えると、青山浩二は楽天ファンであふれる三塁側の観客に向かって「500」と書かれたボードを掲げ、心地よい表情を浮かべた。「優勝したような気持ち。ゆっくりとその時間に浸れた」

 50試合登板は救援として1年間フル回転したことを示す数字だ。だが単純計算で10年続けた500試合登板となると、過去100人もいない。通算勝利数の歴代100位が114勝なのと比較すると、500試合登板の重みが分かる。954試合の岩瀬仁紀(中日)はもはや神の領域に近いとはいえ、現役での達成者は9人のみ。そこに99人目として名を連ね、青山は一流の救援投手として球史に名を刻んだ。「長い間、どんなときもチームを支えてきてくれた。記録以上にその姿は称賛に値する」。長年ともに歩んできた森山良二投手コーチは我がことのように喜ぶ。

 球界再編騒動の末に新規参入した楽天は2005年、97敗してパ・リーグのどん底にあった。青山は翌06年に入団すると中継ぎに始まり、先発、抑えとすべての役割をこなし、身をささげてきた。だが本人は「1年間結果を残せば次の年は契約してもらえるはず」と必死に頑張ってきた12年間だった。剛速球や、ウイニングショットがあるわけでもなく、180センチ80キロとプロとしては平均的な体形の青山が、楽天の投手で唯一のフランチャイズプレーヤーとして歩んできた野球人生とは──。

一番の持ち球を手に入れて


 生まれ育ちは函館市。名湯、湯の川温泉に浸かって育った。小学校3年のとき、3歳上の兄の影響で野球を始めた。地元の函館大有斗高出身でホエールズからベイスターズになったばかりの横浜(現DeNA)のストッパーとして活躍していた盛田幸妃投手にもあこがれ、6年生で投手に。だが中学進学時、母親に言われた・・・

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