母国でやり直す選択肢もあった。しかし、もう一度日本で。その思いを胸に2シーズンぶりとなるNPB復帰を果たした。台湾と日本の架け橋ともなっている男は、自らの“第二章”で輝くことを誓う。 文=田口礼(スポーツライター)、写真=大泉謙也、BBM 石垣島からの再出発
1月31日。日本列島を覆った寒気の影響は遠く、石垣島にまで達していた。ダウンジャケットが必要なほど、肌寒い。
李杜軒は自宅のある台湾・台北と緯度がほとんど変わらない南の島の天気に少し身震いしていた。昼前から行われる予定だったキャンプイン前日の合同自主トレは、午前中の宿舎でのミーティングが長引いたこともあり、遅れていた。
入念な準備運動を整えて臨むつもりだったが、長引いたことで待ちぼうけを食らった。リゾートホテルに泊まる選手たちとは違い、テスト生は石垣市内のビジネスホテル。ユニフォームも支給されない。格差はあった。ただ、純粋に野球がやりたかったから苦にはならなかった。それから2週間以上、無心でボールを追いかけた。
2月16日の練習後、ビジネスホテルに球団幹部が現れ、呼び出される。当初は・・・
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