期待の背番号を与えられ、プロの世界に飛び込んだ快速球左腕。しかし、その後の道のりは厳しかった。やがて背番号は替えられ、突き付けられた現実。生き残るための戦いが、いやおうなしに始まった。その後も、くるくると変わる戦いの場所。だが、どんな場所でも何かを見つけ、這い上がろうとする男の姿は変わらない。後悔だけは、残したくない。今、置かれた場所で咲いてみせる。 文=坂上俊次(中国放送アナウンサー)、写真=BBM 背番号変更で感じた切迫
20年前の桜の季節の話である。彼の通う小学校の正門前で、少年野球の入部募集のチラシが配られていた。スポーツマンでもなければ、体育の時間もあまり好きではなかった。しかし、チラシの文言に惹かれた。
「練習に来ればお菓子がもらえます」
中村恭平が野球に出合ったきっかけである。今も菓子類は好きである。しかし、モチベーションが袋詰めのお菓子だったのは最初だけであった。上達する喜び、成長する楽しさ。彼は一心不乱に野球に打ち込んだ。
その成長曲線は目を見張るものがあった。立正大湘南高の入学当初は、MAX114キロ、緩急やコーナーワークで打者に挑む、今の快速球からは想像すら及ばないスタイルであった。
転機は、富士大の4年間・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン