盛岡大付高時代の武器は150キロを超える剛速球だった。しかし、痛めた右ヒジの影響から、プロ入り後は投球スタイルを模索する日々。葛藤の先、“自分”を知ることで、ついに見つけた。進むべき道は、これだ! 文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、BBM 期待に応えるため、決断のとき
5年目のドラ1は覚醒する、というのが近年の“ホークスあるある”になっている。昨年の
加治屋蓮がそうだった。4年目まで一軍通算4試合しか登板のなかった右腕が、球団タイ記録の72試合に投げてセットアッパーの地位を築き上げ、チームの日本一に貢献したのだ。おととしの
東浜巨もしかりだ。5年目だった2017年に16勝5敗、防御率2・64の堂々たる成績で最多勝タイトルに輝いたのだった。
2度あることは……。19年に「ホークス5年目のドラフト1位」を迎えたのは、もちろん一人しかいない。
松本裕樹だ。昨年まで一軍通算登板は22試合。勝ち星3つに対して負け数は6つを数える。デビューは2年目の16年9月30日、本拠地ヤフオクドームでの
楽天戦。最初に対戦した
三好匠にいきなりプロ2号の本塁打を献上する波乱のスタートだった。翌3年目の5月27日、札幌ドームでの
日本ハム戦で初先発を果たした。この日は味方打線が「若い松本を勝たせよう」と奮起。4回表が終わった時点で11対2と大量リードを奪った。もう初白星は目前。しかし、緊張のあまりか突然のスタミナ切れを起こした。責任投球回まであとわずかのところで打ち込まれてしまい、4回1/3を6失点で降板。
「全然、思うようにいかなかった。修正し切れなかった」と肩を落とした。
それでも次の登板となった6月3日、横浜スタジアムでの
DeNA戦で5回2/3を3失点と試合を作り、プロ初勝利を挙げた。横浜は出身地だ。最高のタイミングだった。
その年に2勝。そして4年目だった昨季1勝の通算3勝である。
「ただ、自分の中では昨年のほうが自分のイメージどおりに投げられた感触がありました。おととしは正直、手応えはなかったので」 とはいえ、ドラ1の期待値には遠く及ばない。それは松本自身が一番分かっていた。今季を迎えるにあたり、一つの決断を・・・
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