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野球浪漫2019

楽天・福井優也 よみがえった闘争心 「いろんな人たちのいろんな言葉が今に生きているし、生かさないといけない」

 

かつてのドラフト1位はもがき苦しんでいた。それでも、移籍が大きな転機となる。周囲の支えによって取り戻すことができた本来のピッチング。もう迷いはない。感謝を胸に、マウンドへ向かう。
文=中田康博(デイリースポーツ) 写真=井沢雄一郎、BBM


大舞台で投げられた財産


 我慢、粘り、献身。新たな己のスタイルを体現するような勝利だった。4月10日の西武戦(メットライフ)。今季2試合目の登板で、強力西武打線を向こうに回し、攻め抜き粘り抜いての6回2失点で移籍初勝利を手にした福井優也「素直にうれしい。勝てて良かったです」。短い言葉に実感がこもる。もがき、苦しんだ時期を乗り越え、再びたどり着いた戦いの場所。「その時期があるから、今の自分があるんです」と真っすぐな視線を未来へ向けた。

 振り返れば、さまざまな人に支えられ、導かれてきた野球人生だ。岡山県英田郡西粟倉村出身。すでに野球を始めていた2人の兄。その背中を追うように地元のスポーツ少年団で野球を始めた。当時の福井少年の心に強烈な印象を残したのは、平成の怪物と呼ばれた横浜高の松坂大輔(現中日)だ。「松坂さんを見てプロよりもまず『甲子園に出たい!』と思いましたね。PL学園高との延長17回の戦いも見ていました」。当時、西粟倉村の広報誌に掲載された将来の夢。福井は明確に「甲子園に出て、その後にプロに行く」と記していた。

 あこがれの甲子園へ――。ここで1人の恩師と出会う。一冊の雑誌で知った野球部が新設された愛媛・済美高。宇和島東高を率いてセンバツ優勝も成し遂げた上甲正典監督が就任し、中学校の関係者を介して福井は名将からの勧誘を受け、同校へ入学することになる。夢への一歩。だが、新設されたばかりの野球部は「入ったときは(甲子園を)想像できなかったです。そんなチームじゃなかった」というレベルだったという。

 そんなチームを変えたのが猛練習の日々だ。長時間に及ぶ練習。徹底したウエート・トレーニング。「本当に厳しかったですね」と振り返るが、それでも「練習は日本一していた。だから、今は弱いけど絶対に強くなるという変な自信があったんです。この監督の下でやれば甲子園へ行けると」。福井というエースを得たチームは、目を見張る上昇カーブを描く。2年生エースとして臨んだ2004年のセンバツでは、当時史上最速の創部3年目で甲子園初出場初優勝、同年の夏の甲子園大会では準優勝。3年夏も聖地の土を踏み、甲子園通算9勝ををマークし、本人の目標としたプロも注目する右腕となっていった。

「やっぱりスゴかった。地方大会では絶対にない雰囲気。あこがれの甲子園球場となったら興奮しますね。あんな大舞台で投げられたというのは財産です」。そして夢舞台へと導いてくれた、上甲監督への感謝の思いは、今も強く刻まれている。「すべてに感謝ですよ。体づくりもそうですし、高校で育ててもらって、有名にしてもらって、本当に恩師ですね」。時に厳しい指導の目を盗んで練習をサボろうと試み・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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