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野球浪漫2020

巨人・立岡宗一郎 かすかでも確実に前進 「『あ、ホークスは俺、いらないんだな』って思っちゃったし、『実際、いらないよな』と妙な納得もあったりして──」

 

12年目を迎えるプロ生活は数え切れないほどの故障に悩まされ、決して順風満帆ではなかった。今季も春季キャンプ後に右手有鉤(ゆうこう)骨の骨折で手術を受け、6月に二軍で実戦復帰したばかり。数々の試練を乗り越えてきた苦労人は、もどかしさを原動力に変え、再起への階段を上っている。すべては再び、居場所をつかむため──。
文=後藤静華(読売新聞東京本社運動部) 写真=菅原淳、BBM


秋山幸二、新庄剛志の再来


 昨年の9月21日、横浜スタジアムで行われたDeNA戦、5年ぶりのリーグ制覇が決まったその試合を、ファームから応援に駆けつけた立岡宗一郎は、複雑な感情で見つめていた。決勝打を放ったのは、代走で途中出場した増田大輝。この年、“足のスペシャリスト”枠を奪い合った、最大のライバルだった。

「チームが優勝してうれしいんだけど、やっぱり心の底からは喜べなかったです。(原辰徳)監督が考える『一番の布陣』に自分はいなかったってことですから……。野球をやってきて、初めて抱いた感情でしたね」

 心にわだかまりを感じながら、歓喜の輪に加わった。

 同じ左打ちの外野手である丸佳浩広島からFAで加入した2019年、立岡は背水の覚悟で臨んでいた。卓越した選球眼に加え、その前年には39本塁打を放ってセ・リーグ最優秀選手にも輝いた強打者に、打撃で対抗するのは決して容易ではない。一層、厳しい立場に置かれることは分かっていた。

「打てる人はいっぱいいるけど、足は負けない自信がある」。オフの取り組みのかいあって、春には塁間の記録で自己最速を更新。オープン戦では球界随一の強肩捕手・甲斐拓也(ソフトバンク)と対峙する中で盗塁の感覚に手応えをつかみ、開幕一軍メンバーにも名を連ねた。しかし、代走中心で打席数も限られる中、なかなか安打マークを灯せない。3度目の降格となった8月を最後に一軍に呼ばれることはなく、わずか25試合の出場にとどまった。

 野球に魅了された瞬間は、今でもはっきりと覚えている。ソフトバンクの前身・ダイエーのファンだった父親に連れられた福岡ドーム。通路から見えるグラウンドの景色や、真剣な眼差しでボール回しをする選手たちの姿に、当時、まだ保育園児だった立岡の胸は躍った。

 柔道少年だった立岡は、両親に頼み込んで小学2年生で野球を始めている。中学生までは投手。ただ、目で追ってしまうのはいつだって野手だった。特にあこがれたのは・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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