幾度となくカベを越えてきた。国境、育成入団、ポジション転向、そしてケガ──。異国の地で試練に立ち向かい続ける中で、時に失意に暮れることもあった。だが、そこで得たのは覚悟の2文字。慢心なき右腕は、どんな試練も力に変えていく 文=米虫紀子(スポーツライター) 写真=太田裕史、BBM チャンスを力に
「ちょっと投げてみて」
2年前、
酒井勉育成コーチ(現・育成統括コーチ)の言葉が運命を変えた。
張は2016年秋のドラフトの育成1巡目で指名されて外野手として入団していた。福岡第一高時代は主に投手として活躍したが、日本経大で野手に転向。
オリックスでも肩の強さなど身体能力は高く評価された。
だが、打撃で思うように結果が出なかった。入団1年目はウエスタン・リーグで打率が1割にも満たず、2年目も安打が出ずに苦しんでいた。
「このままではクビかな」 そんな考えがよぎり始めた18年6月、酒井コーチに声をかけられた。酒井コーチは以前から「球筋がいい」と張に目をつけていた。言われるままブルペンで投げると、いきなり145キロを計測。投手転向が決まり、腹をくくった。
「野手として活躍したかったけど、ここまでやってダメならしかたない。ピッチャーとしてチャンスをもらえるのなら、やるしかない」 その後、ストレートは力強さを増して150キロを超えるようになり、ファームで結果を残して昨年5月、支配下登録を勝ち取った。
早速5月16日の
ロッテ戦(ZOZOマリン)で、リリーフとしてプロ初登板を果たすと、8月8日の
日本ハム戦(旭川)で初先発。6回を1失点に抑えて初勝利を挙げた。
投手転向から1年余りで、大きく動き出した野球人生。しかし、それで終わりではなかった。
昨シーズン後の11月に開催されたプレミア12で、初めて台湾代表に選出された。2試合に先発登板し、ベネズエラ戦で7回、韓国戦で6回2/3を投げ、計13回2/3を無失点。2勝を挙げて大会の最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得した。
台湾は大会5位に終わったが、優勝した日本の並みいる投手たちを抑えて、先発投手部門のベストナインに選ばれ、投手3冠に輝いた。
張はプレミア12に懸けていた。
投手転向を経て育成契約から支配下に這(は)い上がり、一軍登板、初勝利──。昨年までの過程は周りから見ればサクセスストーリーのように映るが・・・
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