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野球浪漫2020

オリックス・張奕 試練の先に「ここまでやってダメならしかたない。チャンスをもらえるのなら、やるしかない」

 

幾度となくカベを越えてきた。国境、育成入団、ポジション転向、そしてケガ──。異国の地で試練に立ち向かい続ける中で、時に失意に暮れることもあった。だが、そこで得たのは覚悟の2文字。慢心なき右腕は、どんな試練も力に変えていく
文=米虫紀子(スポーツライター) 写真=太田裕史、BBM


チャンスを力に


「ちょっと投げてみて」

 2年前、酒井勉育成コーチ(現・育成統括コーチ)の言葉が運命を変えた。

 張は2016年秋のドラフトの育成1巡目で指名されて外野手として入団していた。福岡第一高時代は主に投手として活躍したが、日本経大で野手に転向。オリックスでも肩の強さなど身体能力は高く評価された。

 だが、打撃で思うように結果が出なかった。入団1年目はウエスタン・リーグで打率が1割にも満たず、2年目も安打が出ずに苦しんでいた。

野手として2017年育成1位で入団したが結果を残せず


「このままではクビかな」

 そんな考えがよぎり始めた18年6月、酒井コーチに声をかけられた。酒井コーチは以前から「球筋がいい」と張に目をつけていた。言われるままブルペンで投げると、いきなり145キロを計測。投手転向が決まり、腹をくくった。

「野手として活躍したかったけど、ここまでやってダメならしかたない。ピッチャーとしてチャンスをもらえるのなら、やるしかない」

 その後、ストレートは力強さを増して150キロを超えるようになり、ファームで結果を残して昨年5月、支配下登録を勝ち取った。

 早速5月16日のロッテ戦(ZOZOマリン)で、リリーフとしてプロ初登板を果たすと、8月8日の日本ハム戦(旭川)で初先発。6回を1失点に抑えて初勝利を挙げた。

苦悩の日々を過ごすも、18年途中に投手に転向


 投手転向から1年余りで、大きく動き出した野球人生。しかし、それで終わりではなかった。

 昨シーズン後の11月に開催されたプレミア12で、初めて台湾代表に選出された。2試合に先発登板し、ベネズエラ戦で7回、韓国戦で6回2/3を投げ、計13回2/3を無失点。2勝を挙げて大会の最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得した。

 台湾は大会5位に終わったが、優勝した日本の並みいる投手たちを抑えて、先発投手部門のベストナインに選ばれ、投手3冠に輝いた。

 張はプレミア12に懸けていた。

 投手転向を経て育成契約から支配下に這(は)い上がり、一軍登板、初勝利──。昨年までの過程は周りから見ればサクセスストーリーのように映るが、自身はまったく満足していなかった。

「昨年は全然うまく結果を出せなかったので、プレミア12というチャンスで、取り返そうという気持ちでした。国のためにも、自分のためにも、行くしかないなという思いで臨みました」

 国の代表というプレッシャーや覚悟も背負いながら、相手打者に襲いかからんばかりの気迫を持ってマウンドへ。闘志を胸に秘めつつも、一方では自分でも驚くほど冷静だったという。

「マウンド上でチームメートの声や観客の声援など、いろいろ聞こえてきて、それまでとは違った感覚でした」

 昨シーズン中は、走者を出すと「ヤバイ。どうしよう」と冷静さを失っていたが、プレミア12ではピンチでもひるむことなく打者に向かっていくことができた。大会直前に台湾で出会ったトレーナーに教わったトレーニングも、うまく体に馴な染じんだ。

「ちゃんと下半身から最後のリリースポイントまでの連動がうまくはまるようになって、球の強さが変わったかなと思います。大会前に試すなんて、一か八かでしたけどね(苦笑)」

 プレミア12で結果を残せたことで、精神的にも技術的にも「自分はこれならやっていける」という大きな自信をつかんだ。

昨季、支配下登録を勝ち取り、11月には台湾代表としてプレミア12で2勝を挙げた


台湾の英雄


 大会前まで、台湾での張の知名度は高くなかったが、プレミア12での活躍で一躍ヒーローに。故郷のメディアでは「台湾の英雄」という見出しが躍った。特に、アジアの最上位国(日本を除く)に与えられる東京五輪の出場権を獲得する上で重要だったライバル・韓国との試合で見せた気迫あふれる投球が、台湾の人々の心をわしづかみにした。

 張を紹介する記事の中には、家系図まで掲載されたものもあった。親族がスポーツ一家だからだ。両親は元陸上選手で、父は800m走で全国大会2位の実績がある。そして母方の親族は野球一家で、従兄弟には巨人陽岱鋼や、その兄でソフトバンクに6年間在籍した陽耀勲のほかにも、台湾で活躍するプロ野球選手が大勢いる。すでに引退した選手も含めれば「野球チームが作れるぐらい」だと張は笑う。そんな家系だから、野球に惹かれたのは必然だったのかもしれない。

 子どものころは、陸上やバスケットボールなど、ほかのスポーツもやっていた。父は陸上をさせたかったようで、家でよく練習をさせられた。

 だが、野球のとりこになった。野球を始めると時間を忘れ、夜9時ごろまで家に帰らないこともあったという。

「もう本当に楽しくて、夢中になっていました。お母さんには『何時だと思ってんだ!』ってめちゃくちゃ怒られましたけど(苦笑)」

 ただ、父は怒ることはせず「そんなに野球が好きか?」と聞いた。その問いに「うん。めっちゃ好き」と無邪気に答えると、両親は母方の野球一家のつてを頼って名門チームを紹介してもらい、張は小学3年生のときに、その名門チームに入団した。

 中学生のころ、日本の高校野球の甲子園大会をテレビで観た張は、衝撃を受けた。全国の約4000校もの高校の頂点を決める熱い戦いに魅せられ、特に当時・花巻東高のエースだった菊池雄星(現・マリナーズ)にあこがれを抱いた。

「自分も甲子園に出たい」と思うようになり日本へ。陽岱鋼の出身校でもある福岡第一高の門をたたいた。ただ、言葉の通じない異国での生活は、想像以上の過酷さだった。ハードな練習に加え、帰ってからも洗濯などやらなければならないことが山ほどあった。

 一番苦労したのは野球ノートだ。

 毎日提出しなければならないノートは、もちろん日本語で書かなければいけない。最初は辞書とにらめっこしながら、たった1行か2行の文章を書くのに毎日2時間かかった。「1年生のときはきつかったですね。毎日4時間ぐらいしか寝られなかった」。それでも少しずつチームメートと意思疎通を図れるようになると、自分の気持ちを同級生に伝えて正しい日本語に置き換えてもらい、それをノートに書いて時間を短縮できるようになった。

「とにかく早く周りとしゃべりたかったので、結構、日本語は勉強しました。気持ちが伝わるようになったときは、もう本当に達成感がありました」

 高校3年の夏は福岡大会決勝で飯塚高に敗れ、3年間、甲子園出場はかなわなかったが、「悔いはないです。高校では社会人になるために必要なことを教わることができて、ありがたかったです」。卒業後は日本経大に進学し、日本でプロになる道を選んだ。

“海田さん流”を習得して



 プロ4年目の今季は昨年のプレミア12でつかんだ自信と、台湾で学んだトレーニング方法を自分のものにして、オリックスでも自らのポジションを確立しようと意気込んでいた。

 しかし、2月のキャンプ終盤のこと。右ヒジに痛みを感じた。紅白戦で登板が予定されていたが、コーチに異変を伝えて登板を回避。今季中には復帰できないのでは──。そんな不安に駆られて落ち込んだ。

 それでも、定期的に注射を打ちながらリハビリを重ねて徐々に投げられるようになり、6月終盤に実戦に復帰。ファームで登板を重ね、8月13日のソフトバンク戦(PayPayドーム)で、今季初先発を果たした。例年ならもう終盤戦だが、今年は新型コロナウイルスの影響で開幕が6月19日までずれ込んだため、シーズンはまだ半分以上残っていた。

「今年はもう無理かなと思っていたのが、間に合った。スタッフの方々に感謝ですね」

 今季2度目の先発となった8月22日の西武戦(京セラドーム)では、5回無失点の好投を見せ、今季初勝利を飾った。プレミア12のときのような、闘志あふれるピッチングを続け、マウンドから打者をにらみつける鋭い眼からは殺気すら感じさせる。

「打てるなら打ってみろ! って気持ちで投げています。ビビッたら先発ローテでは投げられない。それぐらいの気持ちでいかないとやられます」

 ここまで4試合に先発し、1勝2敗、防御率3.74(9月11日時点)と、まだまだ納得のいく数字ではないが、昨季のようにズルズルと崩れる場面がなくなったのは成長の跡。「昨年よりも気持ちに余裕があります」と自己分析する。新たなトレーニングにより体の連動性がよくなったせいか、制球力も向上した。ストレートに対する手応えも感じている。

 実は、昨年までのストレートと、今年のストレートは違う。それは偶然の産物だった。

 舞洲の球団施設で自主トレを行っていた今年1月、室内練習場にいる海田智行を見つけて話しかけた。

「海田さんはどういうカットボールを投げてるんですか」

 新たな変化球の武器を増やそうと、先輩に質問すると、海田は快く握り方を教えてくれた。

 しかし、教わった握りで投げると、まったく曲がらない。それどころか「めちゃくちゃいい真っすぐが投げられた」と笑う。横で見ていた海田にも「こっちの真っすぐのほうがいいやん」と声をかけられるほどだった。捕手に受けてもらっても「こっちのほうが球質がいい」という評価だった。

「『前は球がスーッと来る感じだったけど、こっちのほうがズドーンと来る』と言われました。自分の投げている感触も違います。“海田さん流”のほうが、バッターの手元で伸びる感覚がある。そういうのを磨きたいとずっと思っていたんです」

 今年は“海田さん流”のストレートで打者に圧力をかけている。球速は昨年とそれほど変わらず、140キロ台中盤が平均だが、ピンチの場面や「強いボールを投げないと抑えられない」と警戒する打者に対しては、明らかに力を入れて投げ、150キロを超える。

「先発では、うまく抜くところは抜かないと、さすがに全部力を入れていたらたぶん5回でバテてしまう。まだ長いイニングはもたないので」

 海田には「今年、結果を出したら、オレが教えたって言えよ。今じゃないからな。ちゃんと結果出してから、オレの名前を出せよ」と冗談混じりに言われたという。

 もう海田の名前を出してもいいのか。そう張に聞くと「いいのかな……。もう、出してください!」と意を決したように言った。

 後半戦での活躍を誓ってのことだろう。「自分を信じて、投げる球を全部信じて、気迫あるピッチングをするだけです」と後半戦への意気込みを口にする。

 先発ローテーションの一角の立場を揺るぎないものにし、日本で高みを極めるために、新たな技術もトレーニングも貪欲に取り入れる。“台湾の英雄”は、決して満足することはない。

先発ローテ定着へ。熱い気持ちは変わらず、心に余裕を持たせて腕を振り続ける


PROFILE
ちょう・やく●1994年2月6日生まれ(26歳)。182cm 86kg。右投右打。台湾出身。福岡第一高-日本経大-オリックス17育(1)、19途=2年

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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