週刊ベースボールONLINE

野球浪漫2020

広島・九里亜蓮 真っ向勝負の技巧派 「勝負に負けるのは嫌です。小学生相手に手加減なしで抑えに行くこともあるぐらいですから(笑)」

 

打者に向かえば闘志満々、気合とともに投げ込んでゆく。その一方で、ピッチングスタイルは、何種もの変化球を駆使する技巧派だ。ときに熱く、ときに冷静に。変幻自在に真っ向勝負。ある意味では、さまざまな魅力を兼ね備えた投手と言えるのかもしれない。
文=坂上俊次(中国放送アナウンサー) 写真=松村真行、宮原和也、BBM

187センチ、95キロの恵まれた体格で、140キロ台後半のストレートと、カットボール、カーブ、スライダー、ツーシーム、フォーク、チェンジアップと、さまざまな変化球を投げ分ける


すべてに全力、成長遂げた学生時代


 どこまでも負けず嫌いである。打者を抑えてのガッツポーズが印象的だが、打たれたときの悔しがる姿も半端なものではない。

「勝負に負けるのは嫌です。負けたくはありません。野球以外のスポーツでも負けるのが嫌でした。オフの野球教室でも、小学生相手に手加減なしで抑えにいくこともあるくらいですから(笑)」

 若干のリップサービスも含んではいそうだが、この魂が、九里亜蓮の本質である。マウンドで闘志をみなぎらせるのはもちろん、打席でも必死でボールに食らいつき、全力疾走も怠らない。この姿がゲームの流れを何度となく変えてきた。2016〜18年のカープ3連覇のときも、そうである。先発でのゲームメークや勝ちに入るときのピッチングだけではない。劣勢の場面での気迫に満ちたリリーフ登板が「逆転のカープ」の序章にもなってきた。

 少年時代は、あらゆるスポーツに全力だった。野球だけでなく、ローラースケートやアメリカンフットボールなどさまざまな競技にトライした記憶がある。なかでも、バスケットボールでは、負けず嫌いの心と天性の運動能力をいかんなく発揮した。

 少年時代、一緒にバスケットボールを楽しんだ記憶を持つ男がいる。鳥取県米子市で同じ中学校に通っていた広島ドラゴンフライズ(B1リーグ)の司令塔・岡本飛竜である。「うちの近所でバスケットボールをやっているときに、(2学年上の)九里さんがやってきて一緒にやった記憶があります。体は大きくて、スピードもありました。そのまま続けていたら、素晴らしい3番のプレーヤー(チームの得点源のポジション)になっていたのではないかと思います」

 体格にもハートにも恵まれていた。あらゆるスポーツに挑戦する探求心もあった。ただ、この少年が夢中になったのは野球だった。ショートやサードをやったこともある。左打ちの練習をした時期もあった。チャレンジ精神旺盛な彼は、いつしかピッチャーになり、地元の少年野球チームである米子ビクターズのエースになった。

 少年時代の彼を知っているのが、鳥取が生んだ奪三振王・川口和久氏である。広島と巨人で活躍した伝説の左腕は、引退後、野球解説者を務めながらアマチュアの指導にあたることもあった。故郷の鳥取に面白い投手がいる。そう聞いて、川口氏は当時中学生の九里がいるグラウンドへ足を運んだ。

「体も大きくて、いいものを持っていました。ただ、投げ方には悩んでいたようで、腕を振ろうとするあまり軸がぶれているような印象がありました。力を入れて全力で投げていましたが、バランスを崩してしまっていました。腕を振れとよく言いますが、バランスよく投げれば腕は振れてくるものです。軸がしっかりすると腕は振れてきます。そういうアドバイスをした記憶はあります」

 エンジンのサイズは規格外、その中で、適正な出力を探りながら、彼は野球に取り組んでいった。岡山理大付高での3年間を経て、東都大学野球の名門・亜細亜大学に進むと、九里はそうそうたるメンバーとしのぎを削ることになった。1学年上には東浜巨(現ソフトバンク)に飯田哲矢(現広島スコアラー)、1学年後輩には山崎康晃(現DeNA)、薮田和樹(現広島)が在籍していたのである。

 そこで、九里は、身体能力だけでなく、もうひとつの大きな強みを発揮することになる。妥協なく努力する力である。カープでもともに戦った先輩の飯田は、九里の野球への取り組み方を覚えている。「すべてが全力で、本当に練習をする選手でした。入学当初は体が細かったのですが、自分でドンブリ2杯くらいのご飯でおにぎりを作ってきて、練習のときに食べていました。そのうちに、(体の線も)大きくなり、球も速くなって、チームでも東浜に次ぐような投手になっていきました」。

亜大時代の九里。のちにプロに進むことになる先輩、同期、後輩に囲まれながら切磋琢磨し、4年生ではエースになった


 必死の取り組みで身につけたのは球威だけではなかった。豊富な変化球も操るようになっていったのだ。スライダー、ツーシーム、チェンジアップ、九里は東都の強打者を翻弄した。チームが33季ぶりの勝ち点5の完全優勝を遂げ、史上3校目の5連覇を達成した大学4年の秋季リーグでは、MVP、最優秀投手、ベストナインを獲得する活躍を見せた。

負けたくない気持ちに一定の整理をつけて


 スケールと完成度を併せ持つ右腕は、プロ野球スカウトの注目を集めた。14年、ドラフト2位でカープに入団、同期の大瀬良大地とともに開幕から先発ローテーションに定着した。九里は1年目からプロ初勝利を挙げるなど一軍で20試合に登板した。

2013年冬の入団発表(前列右が九里)。プロ入り後は、ともに大卒で入団した大瀬良大地(前列左)と競い合い、力を伸ばしてきた


 ただ、翌15年になると黒田博樹の日本球界復帰やクリス・ジョンソンの加入もあり、彼が身を置く競争環境は激化。登板数も7試合と激減した。ボールの強さや豊富な球種には定評があった一方で、打者に向っていく気持ちや、打たれたくない気持ちが、必ずしも結果に結びつかず、もどかしい気持ちも抱えていた。

 そんな心に折り合いをつけることの必要性を教えてくれたのが、偉大なエースの言葉だった。

「完ぺきなピッチャーはいない。ヒットも打たれず、点も取られないようなピッチャーもいない」。言葉の主は、メジャー・リーグでも活躍し、16年に古巣のカープを25年ぶりリーグ優勝に導いた黒田だった。

 負けたくない気持ちは変わらない。打者に向かう気持ちも、レベルアップを誓う心も、揺らぐことはない。しかし、その胸に一定の整理をつけることで、九里のピッチングは飛躍を遂げた。

「相手の反応を見るといいますか、狙いを考えながら投げられるようになりました。自分の中で相手を見る意識を持つことで、気持ちに余裕が生まれるようになったのです。ひたすら一直線に向かっていくピッチングではなくなりました」


 これまでは、違った。ボールが先行すると、渾身の一球をストライクゾーンに投げ込み、それを痛打されることがあった。かといって、安易にストライクをそろえるわけにもいかない。ストライク先行を可能にする技術と、ストライクをそろえ過ぎない繊細さ、究極的には両面のアプローチが必要になるのだ。

「スライダーが悪ければカーブ、フォークが良くなければツーシーム。打者が外角を待っているなら内角球から入る。インコースを続けておいて、最後は外に落とす。捕手の方と話しながら、駆け引きを意識するようになりました」

「黒田さんのようなスタイルは理想です。まずはストライクゾーンで勝負していく。その中で、駆け引きもできれば課題も見つけていく。そういう投手になりたいです」

 持ち前の攻めのピッチングに駆け引きの要素が加わり、17年は自己最多の9勝をマークした。リーグ2連覇に貢献した右腕は、一気に2ケタ勝利を狙えるまでに成長した。

抑えれば野手をグータッチで迎え、打たれればガックリとグラウンドにヒザをつくことも、と喜怒哀楽を前面に出すスタイルが持ち味


再び「強さ」を持ち絶妙の配合を


 ただ、翌18年、球質に大きな変化はないにも関わらず、前年と同じようには進まなかった。シーズン序盤の畝龍実投手コーチの取材メモが残っている。「スライダーやカットボールに頼るあまり、フォーシームのストレートが投げ切れていません。レベルの高い変化球が豊富にあるのは武器ですが、やはり、ストレートを使っていかないと。相手も研究はしてくるものです」。

 まずは強いストレートを軸にして、空振りやファウルでカウントを有利に運んでいく。これがあってこそ、バリエーション豊かな変化球が生きてくる。直球の質の向上に取り組んだ。ブルペンでは「8割がストレート」だったこともある。「打者を見ることで成長できましたが、そこを考え過ぎて自分の持っているものが出し切れないことがありました。テンポの悪さにもつながってしまいます。変化球でかわすことで、カウントが苦しくなり、自分の球が投げ切れない。そういったところを改善しようと思いました」

 投球メカニックに意識の高い男だが、同時に、精神面での原点も再確認した。「ボールのリリースに意識を持ってやってきましたが、いまひとつ打者に向かっていけていないところがありました。そこで、もう一度、打者に向かっていくことを意識するようにしました。それは、変化球も同じです。カットボールもフォークも、こういう気持ちで投げられるようにしたいです」。真っ向勝負の闘争心と俯瞰して状況を見ながらの駆け引き。熱くなり過ぎてもいけなければ、クールになり過ぎてもいけない。九里は、それぞれの要素における絶妙の配合割合を探っているかのようであった。

 そして、大舞台で持ち味を発揮する日がやってきた。カープ3連覇へマジック「1」で迎えた9月26日のヤクルト戦(マツダ広島)である。「行けるところまで行こう」。そんな思いでマツダスタジアムの先発マウンドに立った右腕は、3回までパーフェクトのピッチングを演じる。4回一死満塁のピンチは、シュートで併殺を奪うなど自らの強みを出し切った。5回まで89球、「球数が増えてしまった」と反省するものの、6回以降は、ボールを動かしながら3イニングを32球で完璧に抑え込んだ。8回無失点。「前半で球数が増えながらも8回を投げ切れたのは大きかった。ゾーンの中で勝負しながらバッターと駆け引きもできました。まずは、ゾーンで勝負。その中で打者をじらしたり崩したり、そういうピッチングは自分も目指すところです」。充実のピッチングでチームに勝利をもたらし、九里は、リーグ3連覇の歓喜の輪で喜びを爆発させた。

2018年にはマツダ広島では初めての本拠地でのV決定をかけた9月26日のヤクルト戦で快投を見せ、勝利投手に


 今季も開幕から先発ローテーションの一角を占める。打者に向かって闘争心全開も九里ならば、豊富な球種を冷静に投げ分けるのも九里である。

「昔は、(記録用の)チャートに記入された球種が違っていたこともあったくらいです。でも、自分ではこういう球種だと思っていても、相手側からは違って見えるのかもしれないと勉強になることもありました」

 真っ向勝負か変化球で幻惑か、見立ての分かれるところだろう。しかし、どちらかに九里の魅力を縛る必要もあるまい。試合では、闘争心むき出しの全力投球を見せる。一方で、練習ではキャッチボールの段階から、さらなる変化球の握りを試してみる。真っ向勝負と創意工夫、九里亜蓮のベクトルは、「勝利」と「成長」に向け、一直線に伸びている。

打者に向かっていくときは気迫満点。それでも同時に頭の中では冷静に打者との駆け引きを行っている


PROFILE
くり・あれん●1991年9月1日生まれ(29歳)。187cm95kg。右投右打。鳥取県出身。岡山理大付高-亜大-広島14(2)=7年

関連情報

関連キーワード検索

野球浪漫

苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング