人生は、山あり谷ありだ。2017年に最優秀中継ぎ投手となるも、2度の右ヒジ手術に、上がらない調子。状況はガラリと変わった。では、現在は──?再び中継ぎの一角として、右腕はチームに欠かせない存在となっている。どん底からはい上がるきっかけとなった一人の投手コーチと『真逆』の物語。 文=喜瀬雅則(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、BBM 大きな落とし穴
2020年、盛夏。
二軍降格から2カ月近くが過ぎながらも、迷路の出口が見えてこない。現状打破へ、新たな挑戦に乗り出すべきなのかもしれない。しかし、それが裏目に出る可能性だってある。
岩嵜翔の心は、揺れていた。
「久保さんはファームに落ちてからすぐに声を掛けてくださって、『こうしたほうがいい』という話はされていたんですけど。僕の中では、その意識は『真逆』なこと過ぎて、違うんじゃないか……という気持ちもあったんですよね」 当時、ソフトバンクの二軍投手コーチだった
久保康生(現・社会人野球/
大和高田クラブアドバイザー)は、近鉄、
阪神で21年間の現役生活のあと、近鉄で7年、阪神で12年、韓国で1年、投手指導を務めてきた。その豊富なキャリアを買われ、ソフトバンクの若手投手陣の育成を担って3年目のシーズンを迎えていた。この名伯楽は、名だたる投手たちの飛躍を手助けしてきた。近鉄時代には
岩隈久志や
大塚晶文の潜在能力を見抜いて登用。阪神時代には
ランディ・メッセンジャーにカーブを伝授、日本野球にフィットさせている。
ソフトバンクでも、16年ドラフト1位入団・
高橋純平の投球フォームを修正し、19年に45試合登板のリリーバーに成長させた。18年に早大から育成ドラフト4位で入団した左腕・
大竹耕太郎も、投球始動時に折れ過ぎる軸足の悪癖などを矯正。入団半年後の8月に一軍へ送り込んだ。球速も格段にアップすることから、その高いコーチ手腕は『魔改造』の異名も取るほどだ。
「あのときの彼は、ズタズタでした。行き詰まっていました。だから、声を掛けたんです」。久保は、岩嵜の“混迷の要因”が投球始動の際に軸となる「右足」と見抜いていた。より速い、威力のある球を投げようとする意識が強くなるあまり、軸足により力をためようと、さらに深く沈み込んでしまう。その投手心理が、久保は「落とし穴」だと表現する。
岩嵜にも、その自覚があったという。
「軸足が折れ過ぎているというのが悪いクセとしてあったんですけど、それがさらに強く出ていた時期だったのかなと思います」 かつての日本の球場は、マウンドの土が軟らかく、スパイクで削ればすぐに穴が掘れるほどだった。軸足から踏み出した前足へ体重移動しながら、右腕を振っていく。マウンドが軟らかい分、体を深く沈み込ませることができたことで、ひと昔前なら、右投手ならば右すね、左投手ならば左すねのあたりに、投球後はこすれたマウンドの土がついていたほどだ。そうした一連の動きが、軸足にためたすべての力をボールに“乗せる”という表現になる。
ところが、最近のマウンドは・・・
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