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野球浪漫2021

中日・田島慎二 イチローの夢を叶えた男「イチローさんの夢をかなえた人って何人いますかね?僕がその一人だと思うと……」

 

昨年は右ヒジのトミー・ジョン手術を受けて、プロ9年目にして初めて一軍マウンドに立てなかった。しかしすぐに復活を果たし、今季は通算400試合登板を達成。経験豊富な中継ぎ右腕の“第2章”がスタートした。
文=川本光憲(中日スポーツ) 写真=BBM


一生の思い出


 田島慎二のプロ野球生活は、今季で10年目の節目だった。名古屋市出身で中部大第一高、東海学園大を経てドラフト3位指名されたのは2011年秋。直後に、コンビニエンスストアで缶ビールを手にしようとしたとき、居合わせた中日ファンから「田島さんですよね?」と話し掛けられて思わず手を引っ込めた。「何か、買っちゃいけない気がして」とウーロン茶に切り替えた微笑ましいエピソードを持つ31歳。マウンドで光を放ち、苦しみ、今季は通算400試合登板も果たした。

2011年秋のドラフト3位指名で中日入団[後列左端]。東海学園大からは初のプロ選手誕生となった。前列左端は1位の高橋周平


 インパクト大のルーキーイヤーだった。春季沖縄キャンプは二軍・読谷組でスタート。一軍参加のワンチャンスをものにした。12年2月19日の紅白戦(北谷)。1イニングを3人斬りの2奪三振。スプリットに手応えを感じ、当時の権藤博投手コーチから「オッと思わせてくれた。制球もいいし、実戦向きだよ。使いたくなるピッチャーだよ」と高評価を得た。

 投手挑戦は高2秋だった。先輩で07年から5年間、西武に所属した朱大衛(しゅ・だいえい)がチームを抜けた。

「肩が強かったから投手になったんだと思います」。捕手のマスクを脱いで、マウンドに上がった。

 プロで生き抜くスプリットを手にしたのは大学時代。フォークを投げてみるとスライダーのように曲がり、落ちない。悩んでいたとき、三菱重工名古屋との合同練習があった。佐伯功コーチ(現・三菱重工East監督)からボールの握りを教わった。人さし指は縫い目に、中指は縫い目の少し右側に置いた。面白いように落ちた。決め球を会得した。

 ルーキーイヤーは56試合登板で防御率1.15。新人王こそ広島野村祐輔に譲ったものの、立派な成績。オールスターに同じ中日から谷繁元信荒木雅博和田一浩大島洋平と出場したのが懐かしい。

「テレビで見た選手と一緒にプレーしました。完全にフワフワしました」

 イチローとのエピソードは年末。「一生忘れられない出来事」が待っていた。少年野球・イチロー杯へ招待された。小学生時代に、同大会に出場してMVPに輝いた。その縁で、閉会式に呼ばれた。イチローから直接、伝えられた。

「僕の大きな夢をかなえてくれた」

 大会を主催するイチローは、プロ野球選手を輩出したかった。田島が第1号だった。

「イチローさんにお会いして、緊張して目も合わせられなかったです。足が震えました」

 時間がたつと興奮度は増した。

「イチローさんで夢を見た人は多いと思います。ですが、イチローさんの夢をかなえた人って何人いますかね? 僕がその一人だと思うと……。何とも表現できないうれしさがあります」

 何ともむずがゆい感情に浸った。

 2年目からは好不調があった。5年目の16年には日本記録となる開幕からの登板連続無失点試合、31試合をマーク。4年ぶり2度目のオールスター出場を果たした。抑えを任された17年のセーブ数は・・・

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