大好きな野球を、目いっぱい、とことんやる──。思いを貫き、プロ入りしてからも努力は惜しまなかった。育成から1年で支配下昇格を果たし、なおも成長し続けるその先は、自身の人柄のように明るく、輝いている。 文=坂上俊次(中国放送アナウンサー) 写真=早浪章弘、BBM 何をするにも100%
足は長くスラリと長身である。選手名鑑には180センチ77キロと記されている。球場をあとにするジーンズスタイルは、かつてのプロ野球選手のイメージとは一線を画している。
内実は「泥臭い男」である。大学野球界では無名だったが、努力と鍛錬で夢を追い、2019年、育成選手からプロ野球の世界に挑戦した。ハードな練習はもちろん、生活面も含めて野球と向き合い、1年目のオフに「背番号59」を勝ち取った。
今年でプロ入り4年目の26歳、ここ3シーズンは一軍での出場機会も増えたが、挑戦者の色合いが薄まることはない。こちらが声を掛けると、最小限の私物を収めた小さなバッグを体の前に回し、自らの取り組みを丁寧な言葉で話してくれる。どんな問答であっても、そこから彼の野球への取り組みが透けて見える。だから、
大盛穂の取材に興味は尽きない。
「コンビニ
エンスストアでよく買うものは何ですか?」
こんな質問から返ってくる言葉にも、彼の真摯(しんし)な姿勢が浮かんでくる。
「スルメです。カロリーは低いですが、タンパク質が多いそうです。これ、西川(西川龍馬)さんに教えてもらいました」 プロ入り当初は、体重が75キロだった。トレーニングに妥協はないが、夏場には69キロまで落ちてしまったこともある。アスリートとして細身の彼は、これまでも、この課題に真正面から向き合ってきた。そのプロセスからも、大盛のひたむきな姿が見えてくる。
沼津駅(静岡県)から北に1キロ、ここに彼が過ごした飛龍高校がある。学園通りには有名ハンバーグ店やカフェ、衣料品店やガソリンスタンドが立ち並ぶ。ただ、野球部のグラウンドは、さらに北へ約7キロ。高速道を越えたあたりから、駅前の喧騒はなくなってくる。工場や製作所が多くなったエリアにグラウンドがあった。
「学校から7キロの山の上に練習場がありました。授業が終わると、走って向かいます。親元を離れて寮にも入り、人間的にも成長できると思って、(飛龍高に)入りました」 この時点で、プロ野球選手という明確な目標は持っていた。俊足巧打で、県内では一目置かれる存在。3年春の県大会では・・・
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