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野球浪漫2022

ロッテ・石川歩 “ダメ元”の出発点 「本当の意味での野球人生は大学から始まったと言っても過言ではありません」

 

大学で野球を続けることも、今では代名詞となったシンカー習得も、ダメ元のような軽い気持ちから始まった。かつての自分では想像し得なかった今の姿。紙一重でつながった次のステージで、チャンスをつかみ続け、クールな右腕は輝きを増していった。
文=梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報室) 写真=橋田ダワー

ロッテ・石川歩


まさかの合格通知


 エースとしてチーム内から絶大な信頼を得る存在に上り詰めた。プロ9年目の石川歩は2022年、自身3度目の開幕投手を任された。井口資仁監督は「昨年のオフの時点から石川にしようと決めていた。マリーンズのエースは石川」と信頼の言葉を口にする。本人に伝えたのは2月20日。浦添でのヤクルトとの練習試合前に電話で石垣島のB組キャンプに残留し、調整をしていた右腕に想いを伝えた。

「分かりました。頑張ります」

 背番号「12」はいつもどおり、口数は少なく冷静に栄誉を受けた。そして迎えた3月25日の楽天戦(楽天生命パーク)。決め球のシンカーが冴え、7回無失点。開幕投手を務めて3度目で初めて勝ち投手となった。

 14年の新人王。16年に防御率のタイトルを獲得し、17年にはWBCで日本代表。今でこそ誰もが知る存在の日本を代表する投手の一人だが、歩んできた道のりはエリートとは程遠い。有力選手たちがドラフト会議の話題で慌ただしくなる高校3年冬は蚊帳の外。それもはるかに外だった。地元・富山県にある中華料理店でアルバイトをしていた。メーンの仕事は皿洗い。時々、餃子づくりを手伝った。大学に入る前の数カ月間、アルバイトをした。

「友達が働いていて、誘われました。だから、お小遣い稼ぎにとなんとなく、働いていた。今となっては楽しい想い出ですね」

 アマチュア時代は野球選手としての人生設計などは考えもつかなかった。高校3年夏の富山大会は3回戦敗退。5回を投げて降板。高校野球は終わった。ぼんやりと日々を過ごしていたとき、野球部の部長から大学のセレクションを受けることを勧められる。愛知県にある中部大。自信がなく躊躇(ちゅうちょ)したが「練習に参加をして、目に留まればスポーツ推薦で入学し、野球を続けられる。ダメでもいいじゃないか。受けてみる価値はある」と周囲から説得された。難しいと思いながらも、言われるがままにとりあえずグラウンドに足を運んだ。

「僕のレベルでは正直、大学野球は無理だと思っていました。専門学校に行こうと思っていました。なにか手に職をつけたいなあ、と。本当にぼんやりとですが、服飾に興味があり、その専門学校を考えていました」

 60人ほどが同じようにセレクションを受けていた。その中で10人ほどが合格すると説明を受けた。打撃投手とフィールディングチェックのノックを受けた。不合格と思い込んでいたが、2週間後、まさかの合格通知が届いた。しなやかなフォームが評価された。石川の野球人生はこうして、紙一重のところで次のステージへとつながる。高校のチームメート9人のうち、大学で野球を続けたのは石川と、もう一人だけ。ちなみにもう一人のチームメートはその後、中学校の教師になった。

「野球とは不思議な縁で結ばれています。いろいろな分岐点はあって、いつ野球を辞めていてもおかしくはなかった。本当に不思議」

 そんな石川の野球観が変わったのは、大学に入ってからだ。監督やコーチからピッチングのいろいろなメカニズムを教えてもらった。目から鱗(うろこ)が落ちたような心境だった。同じスポーツをやっているのに、まるで新しいスポーツにチャンレジしているかのような気持ちで日々を過ごした。捕手出身のOBコーチの下、投球における下半身の使い方を徹底的に教え込まれ・・・

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