人間はさまざまな人の影響を受け人格を形成していく。謙虚に受け止め、取り組んでいくことで、挫折を味わっても、誰かが救いの手を差し伸べてくれる。その繰り返しで成長をしていくもの。阪神の中継ぎ陣をまとめるベテランも以前は先輩たちから多くの学びを受け取った。次は自分が与える番だ。ただ忘れてはいけないのは「謙虚な心」だ。 文=杉原史恭(デイリースポーツ) 写真=毛受亮介、石井愛子、BBM 危機感の中で見つけた光
神宮球場のため息を誘っても、岩貞祐太の眼光は鋭いままだった。
8月18日
ヤクルト戦。左腕は4対2の6回、先発・
西純矢のあとを受け、二番手でマウンドへ。先頭打者の青木(
青木宣親)をフルカウントから四球で歩かせ、打席に四番・村上(
村上宗隆)を迎えていた。“村神様”という愛称さえ大げさに思わせないほどオーラ全開の地元・熊本の後輩は、この時点で42本塁打。一発を浴びれば、たちまち同点になってしまう。スタンドがざわつく中、カウント2ボール2ストライクから真ん中低めにスライダーを決め、見逃し三振を奪った。続く右打者
サンタナを迎えたところで降板となったが、手応え十分のピッチング。投球内容もさることながら、この夜3度もたたき出した自己最速154キロという数字が、今シーズンの充実ぶりを際立たせた。
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「ブルペンから速いなという気はしていました。1点を取られないように、窮屈なピッチングになりましたけど、ボールとしては自分が追い求めているようなものを出せたと思いますし、もっとできるんじゃないかという気持ちになりました」 中継ぎに本格転向して3年目。9月5日に31歳を迎えたが、すごみを増したボールはまるで年齢を感じさせない。むしろ、若返った印象すら与える。躍動感あふれる投球フォームから150キロ前後の直球をビュンビュン投じ、バッターをねじ伏せていく。今季は52試合に登板し、2勝1敗、10ホールド、防御率2.63。(9月29日時点)。リリーバーとして残す、安定した今季の成績は野球人生を懸けた勝負に勝った証しだ。
ここ数年、岩貞は人知れず、もがき苦しんでいた。プロ3年目の2016年に先発で初の10勝(9敗)を挙げてブレーク。プロ初完投初完封、オールスター出場、9月は月間MVPに輝き、能見(
能見篤史)に次ぐ左腕エース誕生を予感させた。ところが、翌17年は5勝(10敗)、18年は7勝(10敗)、19年は故障にも見舞われ、わずか2勝に終わると、20年シーズン途中から中継ぎに配置転換。
同年は7勝(3敗)、8ホールドを記録。翌21年はセットアッパーと期待され、中継ぎ一本でシーズンを迎えた。チームが優勝争いを繰り広げる中、自己最多46試合に登板し、12ホールドをマーク。
「ある程度、できたかな」という本人の手応えとは裏腹にオフの契約更改交渉ではダウン提示。球団から厳しい評価を突きつけられ、この先の野球人生は長くないのだと痛感させられたという。
「自分としては(チームに)必要ないというか、シビアな立場になってきたなというのをうすうす感じていたので。これで終わる、来年終わるにしても、ちょっとメニュー、練習をガラッと変えてやってみることが自分の後悔にならないかなと思いました」 これまでオフの練習メニューと言えば、ランニングから投げ込みでつくり上げるスタイルだった。ただ、春先は結果が出ても夏場になると、どうしてもバテてしまう。
「カバーできるのは何だろうな」。
自問自答を繰り返した末、これまで
「あまりやってこなかった」というウエート・トレーニングを導入することを決断。
「失敗してクビになって終わってもいい」。危機感たっぷりに覚悟を決めると、すぐさま行動に移した。頼ったのは必由館高の大先輩。
ソフトバンク、
オリックスで活躍し、現在、トレーナー兼独立リーグ・火の国監督を務める
馬原孝浩氏だ。
心機一転、自主トレでは瞬発性や筋出力をアップさせるため・・・
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