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野球浪漫2022

西武・平井克典 “自己中”なサイド右腕「もうワガママは言っていられない」

 

覚悟を持って直訴した先発転向で思うような結果を残せなかった。しかし、新たな挑戦をした経験を決してムダにしない。マウンドでは“自己中”な男は、先発でも、中継ぎでも求められる場所で、もうひと花咲かせるために前へ進んでいく。
文=上岡真里江 写真=川口洋邦


現実を受け止めた21年


 2021年シーズンを終え、チームの42年ぶり最下位という屈辱とともに、平井克典の胸は、自分自身への不甲斐(ふがい)なさで張り裂けそうだった。

 19年、NPB歴代単独2位となるシーズン81試合登板を記録。鉄腕リリーバーとして球史に名を刻んだにもかかわらず、翌20年、安定感を欠いてセットアッパーの座を譲り渡す不本意な成績となった。森脇亮介平良海馬宮川哲など、後輩や若手が次々と台頭してくる現実にも直面し、とめどない危機感が襲ってきた。

「このまま、野球人生が終わっていくんじゃないかな……」

 だが、そのたびに自ら不安を打ち消した。

「まだ終わりたくない!」

 そのためには、「変わるしかない!」。その決意をすぐに行動に移した。シーズンが終わった直後、辻発彦監督と西口文也投手コーチ(当時)に「自分を変えるためにも、先発に挑戦させてください」と直談判。

 入団時から先発への思いは強く、2年目からは事あるごとに首脳陣に「先発に挑戦したい」との希望は伝えてはいたが、このときの覚悟と熱意はそれまでの比ではなかった。指揮官、コーチから「競争に勝ったらな」との返事をもらうと、チャレンジャーとして取り組み方、考え方、練習量を一変させた。

「競争に勝つには、今まで一軍にいた先発ピッチャーたちの誰よりも圧倒的に練習をしなければいけないので」

 愛知産大からホンダ鈴鹿を経て17年、25歳でプロのキャリアをスタートさせた平井は年齢的にはすでに投手陣の中では中堅クラスだった。そのため、ここ1、2年はランニングなどメニューによっては多少の免除が許される立場ではあったが、秋季キャンプ、春季キャンプとも自ら「若い子と同じ本数を走ります!」と宣言し、体力があり余る高卒間もない若手投手たちと一緒に汗まみれになり、息を切らした。2月にはキャンプ初日からブルペンに入り、長いイニングを投げる体力をつけるべく、「1日100球以上をコンスタントに」をテーマに徹底的に投げ込んだ。時には1日200球を超えたこともあった。こうした猛アピールに加え、実戦でも結果を残し、見事に開幕先発ローテーション入りの座をつかんだ。

 このような覚悟を持って挑んだ21年だったのだ。実際、序盤は素晴らしかった。自身開幕から3連勝、4試合で3勝0敗、防御率1.82と内容、結果とも非常に充実していた。しかし、先発5試合目で7失点を食らいシーズン初黒星を喫すると、そこから6試合で0勝3敗と結果を出すことができなかった。そして、7月7日からは中継ぎに配置転換。リリーフに転向してからは、14試合登板、防御率1.59と持ち前の安定感を取り戻したが、「何もない1年だった」。ただただ唇をかみ締め、現実を受け止めるしかなかった・・・

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