度重なるケガに泣かされてきた。全国の頂に立った球界屈指の俊足も、周囲からの大きな期待に応えることも自らの力を見せることもできぬまま、2年の月日が過ぎ去った。ようやく立った3年目のスタートライン。真価を見せるのはここからだ。 文=杉浦多夢 写真=高原由佳、田中慎一郎、BBM 野球のための陸上
3年目の正直、だ。3月30日、日本ハムの新球場『エスコンフィールド北海道』の開場を祝し、71年ぶりに1カードだけの開催となった
楽天との開幕戦。真新しいスコアボードには「九番・中堅」として五十幡亮汰の名前が灯っていた。
「これまでの2年間はケガで開幕に間に合わず、3年目で初の開幕だったので。しかも新球場、世界一の球場ですから。独特の雰囲気というか、ワクワクしながらもすごく緊張しましたね」 2021年の入団。入場制限や声出し禁止など、制約のかかったスタンドしか知らなかった。光とプロジェクションマッピングに彩られた華やかなオープニングセレモニー、初めて見るフルハウスとなったスタンドの観客が大きな声を上げて声援を送る様を目の当たりにし、
「ファンの声があるのとないのとでは、やっぱり違うな」と心が踊った。
ここにたどり着くまで、長い2年間だった。毎年のように大きな期待を受けながら、度重なるケガに泣かされ「自慢の足」の真価を見せることができないまま、時が過ぎていった。「言われ慣れてしまって、もう気にしていない」と苦笑する
「サニブラウンに勝った男」という称号。それは決して自らの「野球」に対する評価ではない。
「そこにイラっとしたりとかは全然ないんですけど、まず自分が結果を残さないといけない。まだこの世界で何も活躍できていないので」。
プロ野球選手としての五十幡亮汰とは何者なのかを証明しなければならない。
「やっぱり『サニブラウンに勝った男』というのは、どうしても消えるものではない。野球でしっかりと活躍して、『陸上でもすごかったんだよ』と言ってもらえるようになれれば」。
そのスタートラインに、ようやく立つことができた。
小さいころから足は速かった。幼稚園、小学校ともちろん常に学年でトップ。ただ、自分の周囲の狭い世界でだけ速いんだろうな、と思っていた。「井の中の蛙」の逆だったわけだが、小学6年生のときに出た埼玉県行田市の連合運動会でも一番となり、
「市の中でも一番速いんだ」と、初めて自らの「足」が特別なものであることを意識した。
ただ、足が速いことは小学1年生から始めていた野球のためのプラスαでしかなかった。長野中に進学しても野球は東京神宮シニアで続けていたが・・・
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