野球自体にあこがれていた少年が、両親の助けを受けながら、プロ野球の門をたたくまでに成長した。プロ入り後も、心の根底にある、“負けず嫌い”は変わっていない。取り巻く環境は変わっても自分らしくプレーを続ける。 文=石塚隆 写真=井田新輔、BBM ひとつの条件
いいときもあれば、苦しいときもあったプロ6年目、横浜DeNAベイスターズの外野手である神里和毅は、涼やかな眼に光を宿しながら静かに言うのだ。
「自分にとって野球は、なくてはならないもの。だからこれからも大好きな野球をずっと続けていきたいんです」 野球との出合いがなければ、今の自分はなかった。神里はもちろん、家族にとってもプロ野球の世界は“夢の場所”なのだから――。
1994年1月、神里は沖縄県島尻郡南風原町に生まれた。沖縄県最大の都市・那覇市に隣接する街であり、風光明媚(めいび)で時間のゆったりと流れる場所で、神里は育った。
「小さいときは運動するのが好きで活発だったと思います。あと、負けず嫌い。保育園の運動会のリレーで負けて、泣きながら地面をたたいていたって聞いたことがありますね」 そう言うと神里は苦笑した。この世界、“負けず嫌い”は絶対的な資質だ。
小学校低学年のころから野球に興味はあったが、父親から勧められたのは陸上や水泳であり、それを一生懸命やっていた。結果的に個人競技をやっていたことで基礎体力がつき、のちの神里に還元されるわけだが、子ども心には、どうしても野球をやりたくて仕方がなかった。
「あのときはチームの練習に行く友達を横目に、ひとり壁当てばかりしていましたね。けど、父があまり野球をやらせたくなかった様子で……」 実は父の昌二さんは・・・
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