誰もが認める抜群の身体能力。だが、ポテンシャルをフルに発揮できぬまま、阪神での8年間は過ぎ去っていった。30歳を前に北の大地で再出発を切ることができるのは、チャンス。見る者が驚く打棒を手に入れたとき、ようやく眠れる才能が花開く。 文=杉浦多夢 写真=毛受亮介、川口洋邦 気づいたら8年
屈指の人気球団で華々しくスタートしたプロ野球人生は、停滞しつつあった。いつしか「一軍の壁」が江越大賀の前にそびえ立つようになり、
「特に成績も残せないまま、気づいたら8年も経っていた」と阪神時代を振り返る。だから今、新天地である北海道での日々は、充実感であふれている。節目の30歳で迎えたシーズン。苦労に苦労を重ねてきた男に、あらためて自らの力を証明する舞台が巡ってきた。
最初の2年間は、ある意味で順調と言える歩みだった。駒大からドラフト3位で2015年に阪神へ入団すると、初スタメンで初本塁打を放つなど、1年目は56試合に出場して5本塁打。そして翌16年、4月3日の
DeNA戦(横浜)で代打からシーズン第1号を放ち、同7日の
巨人戦(東京ドーム)でもやはり代打で第2号。スタメンに名を連ねた翌8日の
広島戦(甲子園)では第1打席でソロを放って3試合にまたがる3打席連続本塁打を記録した。さらに翌9日の同戦、またもソロを突き刺して4試合連続本塁打で甲子園の大観衆を揺るがせた。
「あのときの甲子園の歓声は忘れられない。歓声というか、本当に地鳴りのような。ほか(の球場)では絶対に感じることができないものでした。それを『もう一度』って思いながらも、うまくいかないまま時が過ぎていってしまった」 2年目も72試合に出場して7本塁打と、「当たれば飛ぶ」ことは証明したものの、今に続く「確実性」という課題は克服できぬまま、打率は.209。期待の大砲候補として優先的に使われていた期間は終わりを告げ、オフにFAで
オリックスから同じ外野手の
糸井嘉男がチームに加わると、一気に出番は激減する。代走や守備固めが主な役回りとなり、数少ないチャンスでもがむしゃらさが空回りした。
限られたチャンスの中で結果を残すのは難しい。だが、そこで結果を残した者しかレギュラーの座は手にできない。もちろん、必死にもがいた・・・
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