週刊ベースボールONLINE

野球浪漫2023

DeNA・上茶谷大河 1球、1日で人生は変わる「始めたときから“プロになる”というのがはっきりとした夢でした」

 

ドラフト1位で東洋大から入団して5年目。大学3年時まで無名の存在だった投手が一躍ドラフト上位候補に躍り出た裏には、覚醒の瞬間があった。意志と蓄積さえあれば人生を変えるのに多くの時間は必要ない。右腕はそれをマウンドで証明し続けている。
文=石塚隆 写真=高塩隆、桜井ひとし、BBM


やるからにはトップを


 まったくの無名だった存在が、ある日突然、覚醒する。それは本人さえ予期することのできない衝撃とともに、ふと訪れる。DeNAの投手・上茶谷大河は、それを身を持って経験した選手である。

 東洋大3年時の秋のこと、天地がひっくり返るような出来事があり、夢だったプロへの道を拓くことになった。

「たった1日ですべてが変わったんですよ。自分自身、何が起きているのか分からない、といった感じでしたね」

 感慨深い表情で上茶谷は言った。しかし“ローマは1日にしてならず”。つまり地道な積み重ねの日々が、その1日を導いてくれたと言っても過言ではない。

 上茶谷は、野球に出合ってからの日々をかみ締めるように回想する――。

 1996年、上茶谷は京都府京都市北区に生まれた。近くには世界文化遺産の金閣寺が鎮座(ちんざ)する静かな街並み。本人いわく「金閣寺の裏手の山の住宅地で、何にもないところですよ」と言う。

 野球を始めたのは小学校1年生のとき。いとこがやっていた影響だった。チームは金閣リトルタイガース。ピッチャーを始めたのは、本人の記憶によると「4、5年生のころ」だと言う。自ら手を挙げたわけではなくキャッチボールのコントロールの良さを買われて抜てきされた。

 家族は野球をやることに協力的だった。特に父親は、カーテンでピッチングネットを自作し自宅で練習できるようにしたり、休日になると裏山の広場に行き上茶谷にノックの嵐を浴びせたりもした。

「いやもう本当スパルタでしたよ。怒られてばかりだったし、あまりにもきつくて大変でした。ある日、ノックがボロボロで、もう嫌になってしまって……。後にも先にも野球をやめたいと思ったのは、あの一回きりでした」

 しかし、つらいときに優しく諭してくれたのが母親だった。

「母は僕の味方というか、しんどいときにすごくサポートしてくれたんです。本当、母がいなかったら完全に心折れていたと思いますし、大きな存在でしたね」

 厳しい面もあったが熱心だった父から常に言われていたのは、「やるからには、トップを目指せ」ということだった。

「だから僕の中では、野球を始めたときから“プロになる”というのがはっきりとした夢でした。それはずっとブレることなく心にありましたね」

 そしてピッチャーを始めたころ、父親が野球の教習本を買ってきて「これを見てマネしろ」と、上茶谷に与えた。そこにはプロ野球選手のフォームの分解図があり、上茶谷はそれを食い入るように見て覚えたという。

「ピッチングはもちろん、バッティングフォームもずっとマネしていましたね。当時好きでマネしていたのは松坂大輔(元西武ほか)さんや久保裕也(元巨人ほか)さんとかですね」

 この経験が、後の上茶谷に大きな影響を与えることになる。

 通常、視覚で覚えたことを実際の動作に反映させるには時間や反復を要するものだが、上茶谷は小さいときからこの作業をしてきたので、見て特徴をつかんですぐに実行できる。プロになってからは難儀と思われるフォーム変更を毎年のように行い、かつバッティングも強打者のフォームを模倣して打つこともある。また同僚ピッチャーのモノマネをして、チームメートから爆笑を誘うなど、人の特性を瞬時に捉える能力が非常に高い。

「マネばっかりしていたので、逆に自分のフォームがなくなってしまうこともあるのですが……」と、上茶谷は苦笑するが、幼少期の経験により、見たもの、学んだこと、教えられたことをすぐ具現化することができるこのセンスは、稀有(けう)な才能だと言っていいだろう。

 中学時代は京都レッドベアボーイズに所属したが、三番手、四番手のピッチャーで・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

野球浪漫

野球浪漫

苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング