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中日・岡林勇希 『怖さ』を『勇気』に「昨年はダメなところが分かったシーズン。その失敗をどう生かせるかが今年にかかっている」

 

今やドラゴンズ不動のリードオフマン。それは3年前につかんだチャンスから始まった。2年連続最多安打に迫る活躍から昨年は一転、打撃では不本意なシーズンに終わったものの、その怖さと悔しさを糧に6年目の今季を戦っている。
文=土屋善文(中日スポーツ) 写真=下田知仁、BBM

中日・岡林勇希


やるか、やらないか


 右手の薬指と小指は、どれだけ頑張ってもくっ付かない。どうしても数ミリの隙間が生まれる。

「これね、無理なんですよ。一般生活を含めて支障はないですけど」

 指を開いては閉じてを何度繰り返しても、できないものはできない。しかし、その手を見るたびに岡林勇希には思い出す感情がある。

 2022年3月20日のロッテとのオープン戦(バンテリン)。5回一死から右前打で出塁すると、続く高橋周平の打席で暴投の間に二塁へ。そのときだった。滑り込んだ際に右手をベースに突いた。

「あっ、ヤバい」

 その瞬間、球場のあらゆる音は鼓膜を通らず、自らの心臓の鼓動だけが体の内側から聞こえた。恐る恐る右手を見る。

「薬指と小指が曲がっちゃいけない方向に曲がっていました。そんなはずないでしょって思った。めちゃくちゃ焦りました」

 おもむろに左手でその2本の指をつかみ、思い切り引っ張った。

「ホント、咄嗟に。そうしたら元に戻って。グーパーもできるし、よかった、よかったと思っていた。隠せるなら隠したかったし」

 だから駆けつけた首脳陣やトレーナーには、こう言っている。

「カスリ傷です」

 そんなわけがない。そのまま交代となりベンチ裏に下がる。するとみるみるうちに患部は腫れ、痛みも激しくなった。病院で検査の結果、剝離骨折と靱帯損傷だった。そこから大島洋平らが通っている岐阜県内の治療院へ向かった。何もなかったことにはならないが、少しでも回復が早くなればという思いで皆が送り出してくれた。そこでの治療を終えた直後だった。スマートフォンが鳴った。その年に就任した立浪和義監督だった。

「どうや? 無理やろ。しっかり治せよ」

 前年の春季キャンプで臨時コーチに就任し、そのときから「打撃がいい。将来のレギュラー」と気に掛けてもらっていた。岡林もキャンプ、オープン戦とアピールを続け、ようやく開幕スタメンをつかみかけている。

「だって、せっかくここまでやってきて、こんなケガで逃すわけにはいかない。今年は行くぞと言ってもらっていて。ホント、もうそれだけだった」

 だから、すぐにこう返した。

「大丈夫です、全然、行けます」

 指揮官は「じゃあ一旦、練習を見るわ」と言い、電話は終わった。覚悟が決まった瞬間だった。

 翌日から右手の指2本は器具で固定してテーピングでグルグル巻き。打ちづらいし投げづらい。何より痛い。けど、そんなことは言っていられない。やるか、やらないか。前者にフルベットすることだけを決め、打撃練習、守備練習に臨んだ。そして開幕前日の東京ドームでの練習のときだった・・・

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