昨年7月、ソフトバンクから西武に移籍した背番号67。新天地でチャンスを生かし、キャリアハイの成績を残した。迎えた今季、思うような結果を残せていないが、逆境に立ったときこそ、真価を発揮するのが野村大樹という男だ。自分の信じる道を突き進み、一軍舞台での活躍を誓う。 文=上岡真里江 写真=桜井ひとし、BBM 
西武・野村大樹
“野球のために中学受験
野村大樹のグラブには、学生時代から常に『臥薪嘗胆』の刺しゅうが入れられている。高校1年時に古文の授業で習い、大好きになった四字熟語だ。以来、目標を達成するために困難に耐え、苦労を重ねて成功を収めるという意を持つその言葉を、野村は自らの人生に重ね合わせ、モットーとして胸に刻み続けてきた。
「自分も成功ばかりしてきたわけではなくて、失敗を繰り返してここまで来ました。その失敗を忘れてしまうと今後の成長につながらないと思うので、一つひとつの失敗を糧にこれからも努力し続けていきたい」 それはまさに、野村が野球に夢中になった理由にも通ずるものがある。
小学1年生で軟式野球を始めた大樹少年はみるみる上達し、4年生のころには
「高いレベルでやりたいな」と思うほどその面白さにはまっていった。だが、その一方で両親は勉学の道へと進むことを願っていた。
「親から『中学受験をしないと硬式野球をやらせない』と言われて。しかも、その受験校の条件が『大学付きの関関同立(関西大、関西学院大、同志社大、立命館大の総称)のどこか』だったんです。その中で、関西大、関西学院大、立命館大の3つ(の中学)は土曜日も学校があったので、クラブチームに入って野球をすることができない。だから同志社中一択でした」 中学で硬式野球をやるために受験を決意した野村を待っていたのは、塾通いの毎日だった。
「土日も塾だったので、小学5、6年のときはほぼ野球をやっていません。今振り返っても、あのころが人生で一番きつかったです。だって、周りの友達が楽しそうに遊んでいる中で、僕は週6で塾に行って勉強という苦行をずっとやらなければいけないんですよ。友達から『今日放課後、校庭でサッカーしようぜ!』と誘われても、いつも『俺、塾だから』と言って帰るのが本当にしんどくて。おそらく、これからの人生でもあれ以上にきついことはもうないだろうなと思っています。でも、一度は経験しておいて良かったなとも思っています」 友達と遊びたい盛りの小学生時代、野球がやりたい一心でいかなる誘惑にも打ち克ち、志望校に合格したことが、今では
「僕の原点です」と胸を張れるほどの支えとなっているのである。
約束どおり、中学に入ると硬式野球チームに通うことができたが、両親の勉学への期待は変わらなかった。
「当時、日本で一番強いと言われていた枚方ボーイズに入ったのですが、親には『早くあきらめさせたくて、レギュラーを獲れるわけがないであろうチームに入れた』と、あとになって言われて。確かにチームメートには小園海斗(広島)、藤原恭大(ロッテ)もいたので(レギュラーを獲るのは)大変は大変でしたけど、なんかできちゃった、みたいな(笑)」 両親の意図に反して、ハイレベルな環境の中で磨かれることで野村の才能はさらに花開いていったのだった。
そこまで両親の希望と反しながらも、なぜ・・・
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