一度は戦力外となった楽天で再び腕を振っている。宮城県岩出山町(現大崎市)出身の地元の星。一度失いかけた光は経験値によって強い輝きとなり、生まれ育った地で地元のファンを明るく照らしている。背番号99で入団し、66として舞い戻った。まるで大きく変わった姿を象徴するかのように。 文=田口元義[フリーライター] 写真=桜井ひとし、毛受亮介、BBM 無名の公立校からプロへ
「星」が東北の地に舞い戻る。
6年ぶりとなる楽天のマウンド。昨年オフに金銭トレードで
ヤクルトから古巣に帰ってきた今野龍太は、クリムゾンレッドのユニフォームをまとい、腕を振る。またその興奮を味わえることに充足感を抱いているのだと、喜びを打ち出していた。
「現役選手として、ユニフォームを着て楽天に戻ってこられた喜びというのは本当にあって。活躍したいなっていうのが一番です」 今野が掲げる「活躍」の指標に50試合登板がある。今シーズンは6月19日時点で27試合と、すでに自らが課したノルマの半分以上をクリアする。勝ちゲームで投げることもあれば、劣勢のマウンドに上がることもある。フル稼働でチームの期待に応えてもなお、今野は自分を律するように呟く。
「ちょっと、よかったり悪かったりっていうのがありますかね」 状態が良好な試合は最速で150キロを超えるストレートが走り、コーナーもしっかり突いている。だが、そのイメージで状態がよくないマウンドに立つと、コースを狙いすぎるあまりフォアボールを出してしまい、ランナーを溜めた挙句に痛打される。リリーフとしてチームに求められるのは、好不調の波を最小限にまとめるパフォーマンスだ。そこを熟知しているからこそ、今野は自分のマウンドに厳しいのである。
楽天からヤクルト、また楽天。
地元で「星」と呼ばれた選手は、旅を経てたくましくなった。
今野がプロへの一歩を踏み出すこととなる場所は、宮城県にある岩出山高である。
部員数が公式戦のメンバー20人にも満たないようなチームだったが、兄が同校の野球部出身で、自宅からも近い。今野にとってここでプレーするのは、ごく自然なことだった。
無名の公立校。しかも、1年生と2年生のみで戦う新チームは部員数が足りず、秋は2年とも公式戦に出場できなかった。満足に野球ができない環境ながら、今野が岩出山高で急成長を遂げることとなったのは、監督の相原正美の存在が大きい。
当時、
西武でプレーしていた
星孝典を中学時代に指導していた相原はピッチャー出身で、今野は基礎を徹底的に叩き込まれた。毎日の走り込みはロードワークで持久力を、ダッシュで瞬発力を下半身に養わせる。そして、体育館に設置された綱を上るトレーニングも定期的に取り入れることで、上半身も鍛えられた。
相原はフィジカルトレーニングには妥協させなかった一方で、技術面は寛容だった。
「フォームを変えられたというのはなかったです」と今野も語るように、マウンドでは伸び伸びと投げられたのだという。
虎視眈々と牙を研いできた今野がベールを脱ぐ。本格的なデビューとなった3年春の北部地区予選で優勝し、岩出山高にとって30大会ぶりとなる県大会出場の原動力となった。ストレートの最速も140キロを超えるようになっていた“部員11人の公立校のエース”に、周囲がざわつき始める。プロのスカウトの目に留まり、地元メディアからも取り上げられるようになった。
そして夏。今野は米谷工高との初戦で相手打線から16三振を奪い、ノーヒットノーランを達成する。3回戦で聖和学園高に敗れはしたものの、最速を146キロまで伸ばした右腕は、プロ入りを大きく手繰り寄せた。
「春の地区大会あたりからプロのスカウトの人が見に来てくれていたので、ダメ元でプロ志望届を出してみようって。指名されるとは全然、思っていなかったですし、大学とか社会人に行こうと思っていました」 半信半疑で迎えた運命の日。5球団から1位指名を受けた桐光学園高の
松井裕樹をクジで引き当てた楽天から、今野は9位で指名された。
岩出山高初のプロ野球選手の誕生に地元が沸く。そして今野は・・・
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