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野球浪漫2025

ヤクルト・北村拓己 逃げずにもがく「打てないから分かったこと、勉強できていることがたくさんある」

 

一瞬のチャンスをつかみスタメン出場を増やしてきた今季。だが、勝負の世界は厳しく、交流戦では勢いが止まった。結果を残し続ける難しさを感じながら、次なる機会に備える。
文=菊田康彦(スポーツライター) 写真=兼村竜介、井田新輔、BBM


あきらめかけた大学時代


 プロ入りから1本のホームランも打たれたことのなかった中日の守護神・松山晋也が、カウント2-1から投じたストレート。少し甘めに来たその1球にバットを振り抜くと、打球は大きな弧を描いてレフトスタンドのポール際に吸い込まれていった。

「一軍に上がって初めてのスタメンのときかな。あの試合で松山君から打ったホームランは、今シーズンで言うと結構忘れられないのかなと思います」

 開幕からおよそ1カ月半が過ぎた5月13日の中日戦(豊橋)。2点を追うヤクルトの最後の攻撃で飛び出したその一発は、北村拓己にとって遅まきながら自身の2025年シーズンの幕開けを告げる号砲となった。

 現役ドラフトで巨人から移籍して2年目。宮崎・西都の二軍春季キャンプで足を痛めながらもテーピングなどを施して練習を続けたが、帰京後に悪化。イースタン・リーグ開幕直後から約1カ月、戦列を離れることになってしまった。

「年齢も年齢ですし(8月で30歳)、そんなちょっとしたことで離脱するのは違うかなと思っていたんです。結果、我慢してやって裏目に出たのはそうなんですけど……。あの時間、僕の中ではいろんな葛藤があって『もう今年はダメなんじゃないか』っていう思いもありましたけど、『絶対にやってやるんだ』っていう気持ちもどこかに必ずあったので。あの1カ月は、本当にいろんなことを考えさせられる時間ではあったのかなと思います」

 実戦復帰は4月22日のイースタン・日本ハム戦(戸田)。それから1週間もたたずにチームの正遊撃手、長岡秀樹が右膝後十字靱帯(じんたい)損傷で登録を抹消され、入れ替わりに一軍に呼ばれることになる。

「(離脱から約)1カ月後に一軍に上がって試合に出るイメージは正直なかったですけど『絶対にやってやるんだ。活躍してやるんだ』っていう気持ちはずっと心のどこかにあって。だからそんな気持ちを持っていて良かったなって思いましたけど、驚きは大きかったですね」

 今季初出場は5月3日の阪神戦(甲子園)。代打としてセンター前にヒットを打つと、10日の巨人戦(神宮)でも代打で安打を記録。豊橋で行われた13日の中日戦で初めてスタメン(七番・遊撃)に名を連ね、前述のとおり9回の打席でレフトのポール際にアーチを架けた。

 これをきっかけに、故障による「失われた1カ月」を経て、北村にとっての「未知なる1カ月」が始まった──。

 石川県金沢市で「じいちゃん、ばあちゃんまで全員ジャイアンツファン」という一家に生まれ育った北村は、2歳上の兄・北村祥治さん(現トヨタ自動車)の後を追うようにして、小学2年時に野球を始めた。地元・星稜中から星稜高に進んで3年夏の甲子園で本塁打も放ち、亜大では3年秋に三塁手、4年秋は遊撃手でベストナインを受賞。小学校高学年から中学、高校、大学とキャプテンも任されるなど、アマチュア時代はエリート街道を邁進してきたように見える。

「挫折もいっぱいしてますよ(苦笑)。大学では1、2年生のときはほとんど試合に出ていないし、野球をやめようかなと思ったというか、親にも言ったこともあります。それが一番の挫折なのかな」

 星稜中から星稜高、亜大とまったく同じ道を歩んだ兄は大学1年春に二塁のレギュラーとなり、秋には打率.300で東都大学リーグの打撃10傑入り。自身も同じような活躍を思い描いて同じ亜大の門をたたいたものの・・・

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