安定した投球で先発ローテーションを支える。大学、社会人を経てプロ入り7年目、今年2月に31歳となったベテランは、どんな場面でも飄々(ひょうひょう)と投げ抜く。ただ、この場所に立っているのが当たり前でないことは分かっている。多くの人たちに紡いでもらった今この時を、しっかりと楽しんでいく。 文=石塚隆 写真=兼村竜介、BBM 「やめたい」を超えて
野球をやめたい、と思ったのは一度や二度のことではない。しかし心が折れそうになるたびに、誰かがスッと手を差し伸べてくれたり、野球に対する純粋な思いが身体の中にあふれ、気がつけば、またマウンドで懸命に腕を振っている。
「振り返れば、そんなにうまくいったと思える野球人生ではないですよ」 横浜DeNAベイスターズの大貫晋一は、言葉とは裏腹に明るい様子でそう言った。紆余(うよ)曲折あり、うまくはいかないこともあったかもしれないが、決して悪くない歩みだったと自負している。
入団7年目、伸びと切れのあるストレートに加え、ツーシーム、スプリットなど多彩な変化球を徹底したコマンド(制球力)で投げ込みゲームをつくるのが、大貫の最大の持ち味だ。入団2年目の2020年から3年連続して先発としてチーム勝ち頭になり、また今季は2勝しか挙げられていないが10試合に先発し、8試合でクオリティースタートを達成するなど(7月18日現在)、その安定感ある投球はチームに欠かせないものとなっている。
横浜で投げる喜び──。
1994年、横浜市青葉区出身。言うまでもなく地元のベイスターズのファンであり、幼いときは、横浜スタジアムのライトスタンドでチームに声援を送った。
「当時は強くなかったですし、スタンドも閑散として、寂しいなあって思ったのを覚えていますね」 そう言うと大貫は、懐かしそうに笑った。お気に入りの選手は、チームのエースであり、現監督である
三浦大輔だ。時を超え、今では選手と指揮官という関係であり、不思議な縁を感じてならない。
小学校2年生のときに、大貫は野球を始めた。高校、大学と野球をやっていた父の影響だった。だが、野球を始めたこの年に、大貫は最愛の父を亡くしている。
「母は無理に野球をやらなくてもいいと言っていたようなのですが、僕の意思で野球をやりたいって」 野球は大貫にとって、父と結びつくための大切なものだった。
「それに当時はイチロー選手がメジャー・リーグに行ってすごい活躍をしていて、いつか自分もメジャーに行ってプレーしたいなって思っていたんです」 幼き日の慕情──。目線を遠くにして大貫はそう言うのだ。
小学生のときからピッチャーをやり・・・
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