今シーズンでプロ10年目を迎えた。度重なる故障や挫折を経験し、一度は野球をやめることも考えた。それでも多くの偶然や出会いに導かれ、たどり着いた答えが「脱力」だった。力を抜き、野球を楽しむ──これからも、まだまだ歩み続けていく。 文=石塚隆(スポーツライター) 写真=BBM 仲間と過ごした青春の日々
今シーズンでプロ10年目。横浜DeNAベイスターズのリリーバーである佐々木千隼は、これまでのプロ人生を振り返りこう語る。
「いろいろありましたね。どんな時間かと言えば、自分の人生を考えても凝縮された日々だったと感じます。正直、苦しい時間も多くて、そのときは本当にしんどかったんですけど、振り返れば、それがあったから今につながっているんだなって、年々思えるようになりましたね」 よく似合う
ロングヘアーを揺らし、佐々木は達観した様子でそう言った。
元ドラフト1位選手。けれども、幼いときからプロ野球選手に憧れ、夢に向かって邁進(まいしん)してきたわけではない。
ただただ、野球が好きな少年だった。そして誰よりもうまくなりたかった。そんな純粋な気持ちが、いつしかプロへの道を切り拓いた。
1994年、東京都日野市出身。都会の喧騒(けんそう)から離れた三多摩地域、北には多摩川がゆったりと流れ、のんびりとした風情が漂う街だ。ここで佐々木は生まれ育ち、小学校2年生のときに兄の影響で野球と出合い、白球を追うようになった。
中学校に入学すると軟式野球部へ入部した。より高いレベルを求め、硬式のクラブチームに入る同級生も少なくない時代だったが、佐々木はまったく興味がなかったという。
「プロへの憧れみたいのはまったくなく、確かに近隣には武蔵府中シニアや調布シニア、八王子シニアといった有名なチームがあって先輩とかは入団していましたけど、僕は地元の仲間たちと一緒にプレーしたいという気持ちだけでしたね」 中学校では投手、内野手、外野手とあらゆるポジションを守り、最高成績は都大会でベスト8。この結果もあってか、地元の都立日野高にスポーツ推薦で入学することになる。
プロへの夢はなかったが、甲子園には行きたかった。日野高がある西東京地区は、日大三高をはじめ早実、東海大菅生高など強豪がひしめくエリアだが、有名私立を選ばなかった佐々木にはある思いがあった。
「都立であれば日野しか甲子園に行けないだろうと思っていたんです。だから本当、頑張ってやっていましたね」 1年の夏からベンチには入ったが、当時の佐々木は打者として注目されており、2年の夏には日大三高戦で、2本塁打を放った。そしてその年の冬、野手として都選抜に選ばれアメリカ遠征を経験している。ちなみにこの遠征には同学年で二松学舎大付高の
鈴木誠也(現カブス)がおり、そのパワーと肩の強さを目の当たりにし、佐々木は
「こういう選手がプロに行くんだろうな」と、衝撃を受けたという。
そして“投手”佐々木として存在感を見せたのが3年生になってからである。特に語り草となっているのが、夏の西東京大会の3回戦で早実との激闘だ。佐々木は、延長13回、221球を投げて3失点完投、被安打8、14四死球という苦しいピッチングだったが、強豪相手に意地を見せた。
「今だったら考えられないですよね」 そう言うと佐々木は・・・
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