入団3年目、一軍初登板が開幕投手という衝撃デビューを果たすと、3連覇に貢献して新人王獲得。一方で度重なる腰椎分離症と闘い続ける日々でもあった。「絶対に1年間投げ切る」。6年目の今季へ、強い覚悟を持って挑む。 文=阪井日向(スポーツニッポン新聞社) 写真=桜井ひとし、BBM 腰椎分離症との闘い
雌伏のときを過ごした大器が、再び球界を席巻するときが訪れた。過去2年ため込んだ鬱憤を晴らそうと、山下舜平大は自身6年目のシーズンに向けて準備を進めている。
「去年、一昨年の借りがまだ残っているので。絶対に1年間投げ切って、その先のリーグ優勝、日本一の輪に自分はいたいと思っている。どんな形でも、一試合一試合全力で勝ちにいく」 2023年の新人王も、直近の2年はもがき、苦しみ続けてきた。23年9月に第三腰椎分離症を再発した影響で、同年オフはリハビリ調整に。
「2回目はないと(医者からも)聞いていたので……」と思わぬ発症にもめげず、ボディービルダーのトレーニング動画なども参考に、7kg増の最大107kgへと肉体強化を図った。
だが、その弊害から腕が縦振りから横振り気味になった影響もあり、春先から制球が定まらない。24年は開幕から3試合は14イニングで15四死球を与えるなど、0勝2敗、防御率6.43。4回8失点で降板した4月19日
ソフトバンク戦(みずほPaypay)を最後に登録を抹消された。
「リハビリ段階からの立ち上げもそうですし、体の状態が良くなかった中で、力に任せて投げていたところがあった」。7月19日には中継ぎとして再昇格したが、3救援でいずれも失点を記録。先発に戻ったシーズン最後の5試合はいずれもクオリティースタート(QS=6回以上、自責点3以下)を記録するなど立ち直ったが、シーズン全体で3勝6敗、防御率3.38と満足にはほど遠い結果となった。
試練は続く。10月末に3度目の腰椎分離症を発症したと診断。地道にリハビリとトレーニングを続けながらも、今度は翌25年3月7日のオープン戦・
巨人戦で腰の違和感を訴え、緊急降板を強いられた。
「分離症ではないでくれ……」の願いも叶わず、無情にも下されたのは第三腰椎分離症の診断。4度目の発症に、歩みを止めるしかなかった。
「お医者さんとかも1回目、2回目から“ああでもない、こうでもない”って話をたくさんしていたんですけど。(再発する)前例がないので、とうとう自分で考えるしかないなと。何を変えるか、何が必要か、一回立ち止まって一から考えようと」 球団の提案もあり、4月中旬にはチームを一時離脱して徳島へ。過去に
吉田正尚(現レッドソックス)らの手術も担当し、脊椎・腰椎治療の第一人者である徳島大の西良浩一氏の下で8日間を過ごし、関節の可動域を最大限に引き出すモビリティトレーニングなど、数々のエクササイズ法を学んだ。
「やることが増えて、午前中だけじゃ終わらない……」。チーム復帰後、それまで2時間かけていたトレーニングの3倍のメニューをこなすなど、4度目の発症となった第三腰椎分離症と向き合ってきた。
「もういけます! 投げさせてください!」 はやる気持ちを抑え続けたのが、
岸田護監督ら首脳陣だった。「あの子も25年はかなり悔しい思いをしたと思いますけど、こちら側が止めていた状態だった。3年連続で腰の不安もあったので、万全の状態で復活しようと」(岸田監督)。
二軍での実戦復帰は緊急降板から4カ月後の7月8日、そこから一軍での昨季初登板が9月7日の
日本ハム戦(京セラドーム)。今後の将来を見据えた調整プランにのっとり、爪を研ぎ続けてきた。一軍では5回3安打2失点、11奪三振を記録した復帰戦を皮切りに、4試合1勝0敗、防御率1.25。
ハイパフォーマンスを買われて先発を託された日本ハムとのCSファーストステージ初戦では、自身初のポストシーズンでのマウンドで6回6安打2失点と力投も、打線の援護に恵まれず敗戦投手になった。投げ合った相手エース・
伊藤大海(7回4安打無失点で勝利投手)の姿が、今でも・・・
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