DeNAの快進撃は序盤戦最大のサプライズだが、その原動力は打線と新人の山崎康晃の働きが大きい。まだ開幕から日程の3分の1しか消化していないのに17セーブとは、DeNA29勝の59%にこの新人守護神が貢献している。この分ならセーブ王の獲得も有力だが、これまでルーキーでセーブ王になった2人は1年目の成績を再現することなく球界から消えた。新人投手に過度の期待を寄せる弊害が気になる昨今である。 新人の年間最多セーブ記録は90年の与田剛がマークした31
開幕前には想像もつかなかったDeNAの山崎康晃の活躍である。
開幕2試合目の3月28日の
巨人戦(東京ドーム)は、9回表を終わってDeNAが10対2と大量リード。ここで
中畑清監督は、新人の山崎康をプロ入り初登板させてきた。山崎康は六番の
高橋由伸を三振、
亀井善行を左飛、
片岡治大を遊ゴロと9球で三者凡退に仕留めてデビュー戦を飾った。だが、8点もリードしていたのでセーブの対象外であった。
2日後の31日の
広島戦(横浜)にはDeNAは1回裏に4点先取したが、ジリジリと迫られ、8回を終わって7対6とわずか1点のリード。ここで9回表に山崎康に声がかかった。前回とは違って1点差。先頭バッターの
會澤翼はこの日3安打している。しかし、會澤を中飛、
木村昇吾を左飛に仕留めた。3人目の代打の
天谷宗一郎に左前打されたが、一番の
野間峻祥を三振に仕留めて初セーブ。しかし、3試合目の4月1日の広島戦(横浜)で山崎康は手痛い目に合う。
7対1と大量リードして勝負が決まった9回から登板したが、初めの5打者に二塁打2本を含む4安打されて3失点。最後はなんとか逃げ切ったが、3試合を終えて防御率9.00とは、以後の抑えのエースを思わせる成績ではない。
4月5日の
ヤクルト戦(横浜)で2対1と1点リードの9回から登板した山崎康は三番からのクリーンアップに対して二死後、
畠山和洋を歩かせたが、続く
上田剛史を三振させて2セーブ目。このあたりから真価を発揮し始めた。ここから3試合連続セーブである。
続く2試合は同点のまま退き、21日の
阪神戦(横浜)は2対2の同点で9回の頭から出てきて2点を失い初めて敗戦投手になるが、翌22日は3点リードの9回から出てきて後続を断って5セーブ目。この試合から5月8日の巨人戦まで9試合連続セーブだ。
翌9日の巨人戦では10回を無失点で投げたが、10回裏に打順が回ると交代。翌10日の巨人戦から4試合連続の17セーブとなったが、5月だけで9セーブ。月間最多セーブ記録には97年8月に
佐々木主浩の14セーブがあるが、新人では90年6月の
与田剛(
中日)に並ぶタイ記録だ(その後10セーブまで伸ばし新人記録を更新)。
21日のヤクルト戦では10回から登板して4打者から3三振を奪ったが、試合が11回にもつれ込むと山崎康は交代。“お宝”のこの新人投手を中畑監督は決して無理させない。22日の阪神戦では10回表から登板したが、無失点で投げたその裏、井手の安打でサヨナラ勝ちし、山崎康は勝利投手となった。
24日の阪神戦では9回表から登板したが、1球目を
上本博紀の頭部にぶつけ、即退場処分。1球で危険球退場は両リーグ史上9人目。この試合が交流戦前最後の試合であった。この時点で26試合に登板し、防御率2.13で1勝1敗で17セーブ。セ・リーグでは
澤村拓一と並ぶセーブ第1位であった(6月4日現在では30試合、防御率1.84、1勝1敗19セーブでセーブ第1位)。
新人投手の年間最多セーブは90年の与田の31で同2位は04年の
三瀬幸司(ダイエー)の28セーブだ。今年の山崎康が49試合で17セーブとあれば、年間143試合では49.6セーブになる計算。大きな期待が寄せられるが・・・
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