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記録の手帳 / 千葉功

継投策全盛の時代の中でソフトバンクが目指す40完投の価値

 

ソフトバンク工藤公康監督は今年の目標にチームで40完投したいと掲げた。世は継投策全盛で「完投」という言葉が死語になろうとしている時代に、工藤監督はまた思い切った目標を立てたものである。昨年のソフトバンクは10完投だが、それを工藤監督は一気に4倍にする改革を行おうとしている。

就任2年目を迎えた工藤公康監督は年間で40完投を目指すと表明。日本球界に一石を投じる興味深い発言だった


MLBでは完投ゼロも珍しくない


 プロ野球がスタートしたころの球界は負傷でも相手が了承しない限り投手交代は認められなかった。MLBのア・リーグ、ナ・リーグ誕生前の1889年のアメリカン・アソシエーション・リーグは各球団140試合前後であったが、最低114完投。中には130完投を記録していた球団もある。

 1901年にア・リーグが誕生してMLBは現在の形になったが、この年のリーグトップは、ナ・リーグがカブスの131完投、ア・リーグがアスレチックスの124完投。1918年は当時レッドソックスのベーブ・ルースが11本打ってアスレチックスのウォーカーと並んで初めて本塁打王になった時代だが、レッドソックスは105完投もしていた。

 1965年から74年までの10年間にかけてもメジャーの24球団は全部300完投以上。73年にア・リーグがDH制を採用すると、リーグ全体の完投数は72年に502から614、73年には650と増加していた。


 一方、日本の完投数は74年はセ・リーグが227完投、パ・リーグは197完投。75年からパはDH制を採用したので完投は302に増加したが、その後は年々減少の一途である。MLBでも同様の傾向であったが、80年にアスレチックスがビリー・マーチンを新監督に据えると、同監督は継投策に背を向けて完投にこだわった。

 79年に41完投であったアスレチックスは80年には94完投。ラングフォードが28完投、ノリスが24完投、キーオが20完投と同じチームの3人がア・リーグの完投3傑を占めたが、やはり無理があったようだ。翌年3人はそろって成績はガタ落ちしていた。

▼ラングフォード=完投28→18、19勝12敗→12勝10敗
▼ノリス=完投24→16、22勝9敗→12勝9敗
▼キーオ=完投20→10、16勝13敗→10勝6敗

 チーム完投は80年の94から60に減少し、防御率は3.46から3.30と大差なかったが、3年目の82年になると完投は42となり防御率も4.54と大幅に低下。2年前には57勝していた3人はトータルで29勝45敗と凋落し、マーチン監督も82年限りで退陣。その後は完投にこだわる監督は出現していない・・・

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