中日の荒木雅博が6月3日の楽天戦で通算2000安を達成した。プロ野球史上48人目である。一口に2000安打と言うが、昨年の両リーグ通じての最多安打は181本の菊池涼介(広島)であり、それを12年続けてやっと届く数字だ。その大記録を達成した男たちの軌跡を振り返ってみよう。(記録は6月7日現在) プロ22年目で節目の2000安打を達成した中日の荒木雅博。地道な努力の積み重ねが実を結んだ
戦前はほとんど達成困難だった大記録
戦前の職業野球の選手たちにとって、通算2000安打はとても手が届かない記録であった。
1936年に誕生した日本の職業野球において戦前最後の44年(昭和19年)時点の最多安打は
坪内道則(朝日)の643本であった。36年から44年までは兵役も免れて常にフルに出場していた坪内でさえも1000安打にも遠く及ばなかった。坪内はその後も安打を積み重ねて1000安打の第1号選手となるが、記録達成は戦後3年目の金星時代の48年9月28日の急映戦[後楽園]のことだ。
2人目が
川上哲治(
巨人)。達成は49年11月10日の南海戦だったが、そこまでに要したのは869試合。坪内よりも144試合も早かった。3人目は50年7月18日の
白石勝巳(広島)であり、1037試合目である。
1500安打を最初に達成したのは川上であり、53年4月26日の国鉄戦で1242試合目。さらに2000安打のテープを最初に切ったのも川上であった。
56年5月31日の中日戦[中日]の1回に1999本目を打ち、6回一死一、二塁のチャンスで川上は左翼前に安打を放つが、二塁走者の
与那嶺要のスタートが悪く三塁で封殺されて左翼ゴロになってしまったが、次の8回の打席で再び左前に安打をマークし、節目の2000安打が記録された。
記録達成の第1号は川上哲治[巨人]。プロ野球史上に残る大打者として歴史を作った
その後はなかなか達成者が現れなかった。坪内は51年の1472安打を最後に52年に現役を退き、
藤村富美男(
阪神)も1694安打で58年のシーズンを最後にバットを置き、2000安打の候補者たちが球界から姿を消してしまったためである。
ようやく2人目の2000安打達成選手が現れたのは67年・・・
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