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岡田彰布コラム

喜びも悲しみも悔しさもあった阪神での選手、コーチ、監督としての野球人生やった

 

監督になって最初に決めたこと。「四番・金本」は外さない


 この号が出るころはキャンプスタート直前。まさに球春到来……という感じやね。オレもキャンプは沖縄を中心に、取材することになっている。特に阪神や。今年はじっくりとキャンプを見せてもらおうと思っている。他球団に比べて、補強は目立たないが、現有戦力の成長、若手の飛躍。そういったものを、しっかりとチェックするつもりでいる。その報告はこの「そらそうよ」でリポートするので、楽しみにしといてください。

 さて、阪神創設80年ということで綴ってきたオレとタイガースのかかわり……。最後はやはり指導者になってからのことを振り返ってみる。1985年の日本一のあと、阪神は暗黒と呼ばれた時代に入った。カケさん(掛布雅之)が引退し、バースもタイガースを去った。オレもタイガースを戦力外という形で退団し、オリックスに新天地を求めた。当時の監督、仰木彬さんにはホンマ、感謝している。救いの手をさしのべてくれて、さらに指導者としての道を示してくれた。阪神から離れたあの期間、本当に勉強になったもんね。

 阪神に呼び戻され、二軍コーチから二軍監督。当時のタイガースの二軍にはイキのいい若い選手が多くいてね。野手では濱中(濱中治=現二軍コーチ)、関本(関本賢太郎)、投手では藤川球児(レンジャース)。彼らをオレは一軍で通用できるように育てたつもりでいる。濱中には常に四番を打たせた。小さなバッティングにならないように、いつもフルスイングを要求したし、球児には先発は無理!とはっきりと伝えたわ。

 というのも二軍戦で先発させるんやけど、中盤までは素晴らしい投球なのに、必ず終盤に崩れ、打ち込まれるんよ。それが何度も続いたから、球児にセットアッパー、クローザーの方が、お前にマッチしていると言ったわけ。細い体でありながら、直球のスピード、キレは抜群やったからね。そこから球児のサクセスストーリーがスタートしたわけやけど、あの時代の若い選手の成長が、2005年のリーグ優勝に結びついていったんよな。

 オレは03年のオフ、星野(星野仙一)さんから「次はお前が監督や」とバトンを渡された。03年はリーグ優勝を果たし、日本シリーズは勝てなかったけど、それなりに力を示したシーズンやった。だから星野さんが監督を辞める……なんてこと、ホンマに驚いたし、そのあとを受け継ぐなんてことも想像してなかったもんな。

 そんな経緯があって監督になったわけやけど、オレは真っ先に決めたことがある・・・

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岡田彰布のそらそうよ

岡田彰布のそらそうよ

選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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