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岡田彰布コラム

みんな、お腹が出て、当時の面影は薄くなっているけど、30年前のことを思い出し、ウキウキしてた

 

バース、掛布さんの後の打席オレの集中力はすごかった


 また今年も4月17日を迎えた。まあ、当たり前といえば当たり前なんやけど、今年は球団創設80年、そして日本一になったシーズンから30年……。節目の年ということで、甲子園でイベントが開催されたわけよ。阪神タイガース球団創設80周年記念、レジェンズデーとして、あのバックスクリーン3連発を思い出してもらった。何でも4月17日に甲子園で巨人戦が行われるのは、実はあのシーズン以来というから、何という巡り合わせなのか。ビックリしたけど、あの当時を懐かしんで、甲子園には多くのファンが詰めかけてくれた。

 1985年4月17日。このシーズンは開幕が遅くて、その日はシーズン4試合目だった。そこまで2勝1敗で、いいスタートを切っていた。甲子園に巨人を迎えての2試合目。相手の先発は槙原寛己だった。彼はプロ4年目で、実はその2年前、阪神は槙原との初対戦でいきなり完封負けを喫していたんよ(4月16日=甲子園)。しかも、この年の8月(3日)にも完封されていて、それは屈辱やったわ。高校を出て当時2年目のピッチャーにやられた……と、チーム全体にショックが走ったことを覚えていたけど、とにかく槙原の球はスピードがあった。ホンマ、速かったからね。

 そういう経緯があっての、このシーズンの初顔合わせ。ところが1回にクロマティに2ランを浴びた。その裏にオレがタイムリーを打って1点を返したが、7回表に1点を奪われ、そこで1対3。2点差を追って7回裏を迎えたわけよ。

 そこから伝説と呼ばれるドラマが始まった。二死一、二塁で三番・バースが打席に入る。そこまでバースは状態が良くなくて、ヒットすら出なかった。ところがこの打席、それも初球。槙原のストレートを迷いなく振り抜くと、センターバックスクリーンに向けて、グングン伸びていった。クロマティが追うが、フェンスを越えた。逆転の3ランよ。これだけでもドラマチックやけど、次に打席に入った掛布雅之さんが槙原の3球目のストレートを、バースと同じ方向に打ち返した。打球はややスライスして、厳密にいえばバックスクリーンのやや左に飛び込んだが、とにかくすごいホームランになった。

 次はオレよ・・・

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岡田彰布のそらそうよ

岡田彰布のそらそうよ

選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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