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阪神でなく、高知を選んだ…いかにも(藤川)球児らしい。悔いぬよう、納得できる道を歩め!

 

二軍監督時代に伝えた言葉
お前の生きる道は中継ぎや


 交流戦が終わりを迎えようとしているとき、衝撃のニュースが飛び込んできた。こう書いたら、分かっていただけると思う。そう、藤川球児のことだ。メジャー・リーグから日本に戻ってくる……ということで、大方のファンは阪神復帰と考えていたと思うけど、それが生まれ故郷の高知独立リーグのチームという結果になった。どうしてNPBではなく、独立リーグなのか……。オレも驚いたけど、そんなときに、球児から連絡をもらったのです。

「監督、いろいろ心配をかけましたけど、高知に戻ることにしました」。相変わらず律儀な男である。入団会見の前に、連絡をしてくれて、事実を伝えられた。まあ、ここで書けないこともあるが、球児が考えた末に決めたことや。悔いのないように、頑張れ! とオレはそう告げるしかない。球児の声のトーンも明るくて、オレとしては安心したな。

打者に真っ向勝負を挑み、火の玉ボールを投げる球児だからこそ、自分の納得した道を歩んでほしいと思うわ



 藤川球児……との関わりは深い。オレはそう思っている。今回のニュースで、あらためて球児の思い出を頭に巡らせていた。高校から阪神にドラフト1位で入団。そのころの球児は体が細く、一軍で投げるにはかなり時間がかかると見ていた。オレが二軍監督になってからも、まずプロの体になること。そういうことを主眼に置いて、練習を積んでいたが、やはり投球では非凡なものがあった。

 ただ、それを生かせない。生かせぬ体力のなさ……というのか、オレは正直、球児の先発投手としての限界を見抜いていたわ。あれはいつだったか? 2000年に入ったころだったと記憶している。二軍の試合で遠征に出たのよ。確か広島戦だったと思う。球児を先発で投げさせたら、素晴らしいピッチングで5回までピシャリと抑えたんよね。ところが終盤、ホームランを浴び、そこから崩れた。要するに先発完投するには、スタミナがない。ただ、前半のピッチングは非の打ちどころがない。球児を生かす道はないか。オレなりに考えて、球児にはっきりと伝えたことを覚えている。

「お前、先発は無理や。これからお前が生きる道は中継ぎで投げていくことや」

 球児にはショックな言葉だったと思うけど、オレは球児の特性を見抜いたつもりやった。短いイニングなら、スキを見せない。あの球なら打たれるわけがない。その考えを球児に知らせてやりたかったわけよね。

 オレが二軍監督から一軍コーチに呼ばれた02年。星野(仙一)さんが監督で、そのころから球児は一軍で投げるようになった。時に先発、時に中継ぎ。しかし、結果が残せない。そうこうしているうちに、球児がトレード要員に挙がっている……という話まで聞こえてきた・・・

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岡田彰布のそらそうよ

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選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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