週刊ベースボールONLINE

岡田彰布コラム

○億円更改……という活字が飛び交うのが当たり前になった今。もっと遅くに生まれていたら……ともあまり思わない幸せな現役時代やった。

 

契約金は全部親に渡した。現役はすべて一発サイン


監督時代に一度、05年のときに優勝に貢献してくれたシーツから、出来高絡みで「試合に使ってほしい」と懇願されたわ。試合に出したが、見事にクリアしたよ



 1月も中旬から終わりに入った。もうすぐキャンプ・インである。この時期になると思い出すことがある。それは阪神に入団が決まった年。ドラフトが終わり、いよいよキャンプという直前、ずっとオレに密着してくれていた年上の番記者から誘われた。「キャンプ前に景気付けしようや」。ということで、2人で飲みに行った。

 先輩記者のなじみのスナックやらを3軒ハシゴして、「まあ、これが大人の世界よ。岡田、分かったか。今夜はオレの奢りやから。これでもう帰れよ」ときた。それでは悪い。ごちそうになってばかりやし、「○○さん、もう一軒、僕のなじみの店に行きましょう。次はオレが払いますから」と誘った。

 お連れしたのは大阪ミナミの老舗クラブ。ここは親父によく連れていってもらっていた店である。店に入ると女性がたくさんいて「岡田君、久しぶりやないの」と歓待してくれた。どうせ学生やから、バーにでも連れていかれるのやろ……と思っていた年上記者は、目を白黒させ「オイ、オレはもう金がないぞ。こんな高そうな店、大丈夫か?」と。あのときの心配そうな顔、今も忘れられないし、あれから30数年、その記者と会うと、笑い話でそれが出る。

 そうです。今週号の週ベのテーマはお金にまつわる話……ということです。「マネー特集なんで、よろしく」と編集担当者からの指令があったので、先に書いたことを思いだしたのです。まあ、オレはあまり金に関しては、執着心はないほうやと思う。ただ、現在の球界のマネー情報を見聞きするにつけて、時代の差を感じずにはおれない。

 1979年のドラフトで、早大から6球団にドラフト指名され阪神に入団するのだけど、そのときの条件を正直に明かすと、契約金は6000万円で年俸は480万円。当時は契約金の上限は設定されていなかったし、多分、6000万円の契約金はその年のドラフト入団では最高額やったと思うわ。よく使い道を聞かれるが、オレは何も買わなかったな。そのお金、そっくりそのまま両親に渡したからな。親もそれで家を買ったとかもなかったし。大阪の玉造に自宅があったしね。

 自分で頑張って、これから年俸を上げていけばいいと考えていたし、契約金は渡しっぱなしのまま。別に欲しいとも思わんかった。オレのプロ人生は年俸480万円からのスタートで、ルーキーシーズン、最初はいろんな絡みもあって出遅れた形になったけど、規定打席に到達して新人王になった。そのオフの契約更改で、さていくらに上がったか?倍の960万円です。

 いまなら、これってどうよ……ってことなんやろな。いまなら上がり幅が低過ぎる、ということになる。それでもオレ、当時は何も思わんかった。逆にうれしかったわ・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

岡田彰布のそらそうよ

岡田彰布のそらそうよ

選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング