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岡田彰布コラム

阪神淡路大震災のとき仰木さんは言った。野球をとおして前に進む力を見せなければ、と。今回の熊本地震も同じ気持ちや

 

95年の震災のときはファンに支えられ励まされた


各球場では熊本地震の被災者のための募金活動を行っている。選手たちには勇気と感動を与えられるプレーをしてほしい/写真は阪神の募金活動=毛受亮介


 テレビ画面からでしか、状況は分からない。しかし甚大な被害を受けていることは、間違いない。熊本で起きた地震災害……。あれから約10日が過ぎようとしている。いまも余震が続いているという。被災した人たちの苦しみ、怖さ。簡単に言葉で表せるものではない……。

 オレたちも経験している。もう21年も前になる。でも忘れたくても、忘れぬことができぬあの日……。1995年1月17日、阪神淡路大震災だ。オレはその前日から、所用のため高知県にいた。自宅は兵庫県西宮市である。早朝、妻からの連絡で飛び起きた。すごい揺れがあり、相当強い地震……と叫んでいた。幸いなことに、自宅近辺は大きな被害はなかったものの、そこから西の地域は、すごいありさまだった。

 前年、阪神からオリックスに移籍していた。本拠地は神戸……。このことが頭をよぎった。本拠地はどうなったか。そして神戸の街はどうなんだ。もう野球どころではない。野球できる状況ではない……と、覚悟した。当時、オリックスの監督は仰木彬さんで、チームにはイチロー(現マーリンズ)、田口(壮=現オリックス二軍監督)がいた。若さがあり、これから伸びゆくチームだったし、オレはベテランとして、サポートできれば……と思ってやっていた。そこに起きた大震災である。心が砕かれ、誰もが絶望感を抱いた。

 しかし、そんなチームを救ってくれたのが、ファンだった・・・

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岡田彰布のそらそうよ

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選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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