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岡田彰布コラム

ショートは一番難しいポジションや。現代は打てるショートも多くなった。その中で今一度、阪神・鳥谷の復権を期待している

 

豊田さんの遺志を継ぎ厳しいことも書いていきたい


 またまた悲しい知らせが。球界の大先輩、豊田泰光さんがお亡くなりになられた。オレが現役のころは、球場でお会いして、あいさつするくらいだったけど、実はオレの親父(勇郎)とは古くから親交があったようだ。確かに小さいころ、親父と豊田さんが一緒に飲みに行っている席に呼ばれたことがあった。まあ、オレは阪神のことしか頭になかったから、ほとんど印象はなかったと思うけど、あとで聞いたら「西鉄のスター選手や」とのこと。ビックリしたことを思い出す。

 豊田さんは週ベで長く連載していた。オレも読んだことがある。担当者に聞けば、連載は1001回も続いたとのこと。1年はだいたい52週間。年間52回を掲載され、それが1001回もです。単純に計算しても20年以上、コラムを書き続けたことになる。すごいというしかない。

 その豊田さんの連載が終了後に野村(克也)さんのコラムとともに始まったのが、この「そらそうよ」だったという話を聞いた。豊田さんのあととは恐れ多いのですが、これも何かの縁。豊田さんのように球界のさらなる発展を祈り、豊田さんのように、あえて厳しいことも、このコラムで書いていきたい。訃報に接し、あらためて、そういう気持ちになったわ。

 そういう悲しみの中、今週号の特集は「遊撃手」について……とのこと。ショートとして活躍された豊田さんだけに、手向けになると思う。ショートというポジション、実はオレは野球を始めたころからずっとショートを守っていたんよね。小学校でもそう。リトル・リーグでもそう。中学でもショートやった。それが北陽高では、ショートに先輩がいて、オレはレフトで甲子園の夏の大会に出場している。そこから三塁にポジションが変わり、大学もそうだった。

 ただ大学の全日本チームでは三塁に原辰徳が入り、オレがショートに回ったな。原がショートの経験がないということで、そういうポジションになったけど、オレと原の三遊間。これはなかなかのものやったと思うで・・・

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岡田彰布のそらそうよ

岡田彰布のそらそうよ

選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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